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広島の声

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植松隆雄さん 直接被爆・距離2.5km(己斐)
被爆時14歳 / 広島県豊田郡459

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  1.学徒動員中だった私は己斐駅付近で被爆したが、一旦宮島沿線道路を伝い歩きました が、五日市か草津町だったかはっきり記憶にないのですが、民家のオバサンに水を飲ませても らいかなり休ませていただきました。しかし私の頭の中は自分の家や家族の事が心配で市 内に引き返す事にした。はっきりわかりませんが午后4時〜5時頃だったと思います。市 内電車の線路を便りに一生懸命でした。その時の市内の様子は悲惨なもので省略します。 千田町付近で倒れていたオジサンが私に(アンチャン水を呉れえー)と手を合わせていま したが見て見ぬ振りをして通り過ぎました。今思えば残念ですが家路に急ぐ一心でしたが、 熱線でただれた顔のオジサンは多分亡くなられた事でしょう。74才になった私は60年 前のあの日を思いだします。まだまだ忘れられない事はたくさんありますが省略します。

 2.私の妹(第2県女)在学中、低学年のため勤労奉仕に雑魚場町で被爆して生死不明。 金輪島、似島、迄も母と一緒に探しに行ったがとうとう不明のまま40年目に遺骨が解り、 広島平和公園内で引渡し式がありました。当時はテレビ局、各新聞社の方達が遺骨受取人 の私に色々と感想や気持を聞かれ大変でした。原爆で家族を失った人は数え切れない位居 られます。運命が180度変わってしまった人も居る事と思います。原爆の恐ろしさは経 験した者にしか判りません。もっと書きたいと思ったのですが気が滅入るので一応止めま す。
(2005年)