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広島の声

男性 直接被爆・距離6.5km(宇品)
被爆時25歳 / 兵庫県尼崎市9956

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  1.眠を突き刺す閃光、はっと目を伏せ、一瞬上を向く。青空に薄桃色の煙が漂うようにの ぼって、それがオレンジ色になる。綺麗だな。すべてが一瞬ザーッと空気を太刀切るような 超大爆風、同時に大地も飛び散る様な大爆音、熱光線。ほんとに思考が止った。
 どこか近い所に落ちた感じで、今度は自分の処当りに落ちる思えば命はないと思いました。

  2.午後2時頃から船艇で被災者がどんどん運ばれてくる。大方の人が衣はぼろぼろにち ぎれ、女性は髪の毛がばらばらに、くもの巣のようになり、体が黒く焼け、赤い肉の部分 が見え、体がしめっているように膨れ上がり、さわると痛いと泣くようで声もやっと出る 有様で夜の更ける迄タンカで運び収容する修羅場でした。婦人の方で2、3才位の子供を 添うように兵舎に収容されていました。

 一夜明けた日、声にならない程の人達が亡くなられ、埋葬の為め、舟で移送されました中に、その親子の同じように一緒に埋葬する処に送られるのを見て、兵隊が同じで有ろう親子一緒にとの心を思い、私も埋葬される親子に深く冥福をしばし祈りました。
 18才位の娘さんが何んの火傷や衣服のみだれ無いのに担架で治療を受ける順番待ちに、ふと見ると横腹にガラスの破片が突きささり内臓が体外に一杯出て、 血は一滴も出ておらず気の毒で尋ねると、家の中でガラスが突刺さった、弱々しい声で言ってましたが、後で聞くと軍医が出ている臓物を中に戻したが駄目だろうと後で聞きました。

  3.一発の爆弾、核爆弾、10数万人の方、家や草木、すべて広島の街からなくなり見渡す 限り灰色の荒涼たる景色。其の時の地獄絵の修羅場2度となくなり、平和な広島、日本で 有る様願うのみです。而し、私八十五才の今思うに小学校に行けた幸せ、職業つけて仕事と夢を持った時、結婚、家族との苦難を共にした今の幸せな生活。滅私奉公の1時期有りまし たが、今の平和も他国が喧嘩をしかけるかも知れない、平和ぼけせず、しっかりした自衛力が 必要と思います。
(2005年)