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広島の声

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羽田野元彦さん 直接被爆・距離8km(祇園)
被爆時19歳 / 岐阜県郡上市10038

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  私は昭和16年養成工として名古屋三菱電機に入社、昭和20年工場が空襲を受けた為、5月大勢の仲間と共に広島工場に転勤しました。8月6日午前8時15分、其の朝は良く晴れて居ました。作業にとりかかった直後、光と音が広い工場内で光り鳴り響き、屋根や窓ガラスが吹き飛び一瞬何が何だかわからず機械の下に蹲った。名古屋に居た頃に空襲は何度か受けたが此の様な空襲は初めてである。

 此れは工場が使用して居る何万ボルトの電気がショートしたのだ ろうと想像しながら外に出て見ると、空には不気味な入道雲が湧き上がって居ます。唯驚く のみです。すると大きな雹が降ってくると同時に四方八方から火が出て一面火の海と化しま した。雹が2時間位降ったかと記憶しているが火は続け燃え、山火事は10日間位は燃え続けていたと思う。

  爆心地に近い所の被爆者はそのままの姿で死者となったり、少し遠い所でうけた者 は出て居る肌が全部焼けてベローっと膚の皮がむけて垂れ下がっていた。其の他、頭の髪が抜けおちる人、吐血をどんぶりに1杯も出す人、40度以上熱を出す人、急にやせおちた人、いろいろの症状を呈した人は皆死人となった。そして15日間被爆傷病者の看護など多数救難をし、死者等を担架で火葬場へ運んだ。火葬場と云っても野原で灯油をまいての火葬でした。此の悲惨と云うか地獄絵図と共に15日間程送り、横川駅より命がけで、遮二無二岐阜に帰郷しました。帰ってから頭の髪の毛を何年引っぱった事か。ああ自分も抜けた、長くて1週間の命かと、夢で何度見た事か。今思い出すとぞっとします。

 被爆地広島県安佐郡祇園町下北安ヒロ第3250工場 工場内で機械工として広い建造物の中で作業して居て被爆する。
(2005年)