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広島の声

宮野正路さん 直接被爆・距離4.7km(宇品)
被爆時26歳 / 愛知県名古屋市中川区11416

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  宇品の旅館の三階で被爆しました。部屋中が黄色がかったオレンジ色の光線に包まれ、窓か ら見たオレンジ色の火の玉とその直後のものすごい爆風と黒い雨は今もまざまざと思い出 します。見習士官と2人で兵器部に行きましたが建物は倒壊、市内の様子を見るため丹那に あった船舶兵団の兵器部から大通りに出たとき目にした市の中央部から南東の方に避難し てくる大勢の人達の悲惨な姿が目に焼き付いています。

 御幸橋を渡り広島日赤の近くまで行きましたが火勢が強くそれ以上進むのは危険と判断 したので宇品の艇に引き返しました。途中当日の朝まで艇付の下士官兵が泊まっていた宿舎 の広陵中学の前を通りましたが校舎は潰れ門に立っていた兵隊の鉄帽の下の血まみれの顔が目に残ります。
 爆弾が1時間半早くおちたら泊まっていた連中はどうなっていたかと思ってぞっと致し ました。
 1996年8月発行の新聞労連、中国新聞労働組合編集の「ヒロシマへの手紙」に拙文を投 稿しております。
 左目が緑内障、右目が白内障のため文字がよく分からないためよろしく御判読願います。
(2005年)