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広島の声

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香川清さん 直接被爆・距離4km(丹那)
被爆時19歳 / 鳥取県米子市8010

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  1.戦争とはいえ罪のない青少年の無残な死の状態で言葉に出しては話せない。
 2.爆風、ピカ(光)の為火傷して水を求め苦しみ、最後には生き殺しであった。
 3.現在戦争を知らない中学生並一般市民に被爆体験を話しても作り話の様に聞き入れ ている残念な事。平和教育の内、原爆被爆体験を取り入れて核兵器のおそろしさを伝えのこす。

 ・昭和20年8月6日 被爆に現実に合った人でなければわかりません。
 イ―現在の政府では核兵器問題・拉致問題については進展がない。
 ロ―・被爆者でありながら現在、被爆者健康手帳を取得しない人がたくさんいます。証人者が 高齢者にて死亡され証人者がない為と思います。残念な次第です。
 ハ―・原子爆弾は国際法違反なり。
(2005年)

 1.無残な死の状態で言葉に出しては話せない。
 3.戦争と平和の実情
 被爆体験により実情
 言いのこし、語りべ運動に実施に努力している。

   イ 現在被団協では多額の費用にて外国他国へ行き原爆降下被害パネルにて日本国国民の実情を語り説明して 核兵器廃絶を訴えていますが、65年過ぎ察った今日、効果はないと思われる。 「核のない世界にしたい」と言っているけど、いざ戦争になれば各国は核兵器を使用するに至る。

 ロ 被爆者、軍隊、徴用、看護婦であった各人々に今日現在、被爆者手帳を取得していないのが現実で 被団協新聞に原爆被爆者証人さがしが記載してありますが、証人者も高齢になり死亡致して、おりません。
 被爆者に対して日本国政府、被団協は見直しを要望する。

   ハ 原子爆弾降下は国際法違反である。
 日本国政府はアメリカ国に対して賠償金を要求しない。日本国政府の各大臣は原爆被害者をよく知らない。
 日本国の為犠牲になり苦しみを耐えて生き続けているのです。
 被爆者に対して、認定、国家補償を日本政府は真剣に見直しを要望する

  被爆者健康状態
脱毛
吐血
火傷
歯は自然に抜けてくる
血圧の変動
疾病――ガンになりやすい
毎週通院並に入院の現状
(2010年追記)

     原爆被爆者体験書
   広島市にて原子爆弾投下被爆体験記
 小生は、昭和二十年四月軍隊へ現役兵として、暁部隊船舶機関砲第二連隊門司に入営、同年六月広島浅薄砲兵団材料廠に分遣、暁第六一八〇部隊九中隊宇品兵舎に勤務、同年六月二十日呉市が米軍グラマン戦闘機により爆撃を受け、三日間続く。宇品の営庭から前方の空で敵機がよく見えた。高射砲の砲弾の破片が落ちてくるので危なかった。

 同年七月一日付けにて中隊が丹那兵舎に移動。同年七月二十九日より毎日午前九時前後米軍B29一機が広島上空に偵察に一週間続いた。八月六日点呼朝礼後、兵舎偽装の為立木の枝を切る作業をしていた。八時十五分B29より落下傘にて、現在のコーラの缶の状態の物を落下したので、上空を見ていました。ところが、瞬間熱い光が発し直後爆風で大風のような風が出て、その場に倒れていた。軍帽は飛ばされ、気がついて頭を上げて見れば広島市内上空にキノコ雲が出来て、市内は大火災となり、中隊は直ちに市内へ応援。軍装して官公庁・広島大学・専売局、人影焼き付く銀行前付近、広島駅前、市電車の中には立ったまま死んでいました。軍人、市民の負傷者の救護に六日間毎日当たりました。

 広島市内は三日四晩焼き続けました。道路沿いの電線鉄柱は中間部分より曲がり、また街路樹は原爆の光線により、茶色になり爆風により裂けまた倒れ、電線は切れ、水道管は破れ水が出る始末でした。家の中に居た人は、爆風によりガラスの破片で人体の関節部にガラスの粉が入り、また屋外にいた人は光線により、顔、手足の皮膚が焼けただれ無惨なことでした。

 怪我人の治療は軍医が、午前中は軍人、午後は一般市民の人に当たって居ましたが、ガラスの破片の入った人は麻酔薬もかけずに、針とピンセットで掘り出して、その後に赤チンキを塗る程度でした。また光線にて火傷した人はテンカ粉とシラスメ油を混合した物を塗り、その上からガーゼを当てる状態でした。

 その後三日間にわたり原爆による死者の集結作業。暑い為死者の皮膚にウジがついていた。町の十字路広場にて死者の火葬を致しましたが、火葬と言っても生焼けです。そうしなければ死者にウジ虫が次々と附いてゆくので、止むを得ぬ始末で、残酷な事でした。私達の食事は暁部隊本部比治山にいた軍馬が、原爆で死んだものの足一本中隊にて料理し、馬飯・馬肉汁・馬肉煮付け、野菜はサツマイモの軸の葉っぱで、約十日間食して居ました。敗戦になり、原隊に復帰して九月に復員致しました。
 原爆被害者被爆体験語り致し一筆まで
(2010年送付)