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広島の声

男性 直接被爆・距離2.3km(吉島本町)
被爆時1歳 8584

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  2.原爆で亡くなった方々への思い
 原爆供養塔内に遺骨として納められている約7万の名前不詳の被爆死者の方々の御冥福を お祈りしています。そして、同方々の宗教がいつの日か判明し、毎日、絶えることなく、 供養がされるようになることを希望しています。
 死者を顧みる仕組みなしには、平和はありません。

 日本は1941年12月8日、真珠湾攻撃により米英に宣戦をし、以後約4年 間、戦争を続け、1945年8月6日、広島に原爆が投下され、続いて8月9日に長崎に 原爆が投下され、ソ連の日本への宣戦布告もあって、1945年8月15日、ポツダム宣 言を受諾し、戦争に無条件降伏しました。以後、日本は1952年4月講和条約発効までG HQなどによって占領下におかれました。この占領下において、1947年5月3日に新 しい日本国憲法が発効され(1)主権在民(2)基本的人権の尊重(3)戦争放棄を特色とした民主国 家を目指してスタートしました。

 しかし、この憲法は理想に走りすぎのきらいがあり、い わゆる本来の政治機能(軍事・経済・教育)のバランスに欠いた経済中心で、軍事と教育 に多くの規制、禁止を持つ憲法となっているため、戦後の日本は、ただひたすらにエコノミ ックアニマルの道を進んでくるしかありませんでした。アメリカの日本駐兵は今も続いて おり、日本的宗教(神、仏、儒など各地古来の宗教)の行政支援はされず、自主独立の精 神を持った国際人としての日本人の後継者を育てることがなおざりになってきました。常 に誰かに守ってもらわないと生きていけず、たくましさがない。そして、日本人としての 誇り(宗教心)を全く失ない、宗教さえも金儲けに利用され、だまされるアニマルになり下 っています。それゆえに、原爆供養塔に遺骨として納められている約七万の名前の不詳の被爆死者の方々の礼拝堂は、無い(有ったとしても開放されていない)ままなのです。
 もっと死者を顧みるべきです。
(2005年)

 次に、被爆者認定について、現行では8月6日(広島)あるいは8月9日(長崎)から、2 週間についてのみ該当エリアに居た人を被爆者と認定し、手帳(健康管理)を交付しており、 胎児被爆もその間に受胎していた者(胎児)のみとしています。しかし、放射線の影響を 受けやすい胎児については、残留放射能の濃度が高かった8月から10月までの3ヶ月間 に受胎した者(胎児)も被爆者と認定すべきと判断します。残留被爆受胎者(胎児)の人 は、セキ椎側ワンや後ワンが成長期に生じ、心臓や肺圧迫などで苦しんでいます。
(2010年追記)