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広島の声

男性 入市被爆
被爆時20歳 9578

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  いくら被爆者が声を大にして呼んでも、私達の補償をさがる一方でだんだんと最後には 支給されなくなると思います。新聞社のマスコミの方々がもっと大大的に補償手当を支給 すべきであると記事にすべきです。銀行の公的資金導入などと大義名分に乗じて破綻した 銀行に税金をつぎ込む位なら被爆の手当をもっと上げるべきです。
 それでは、私個人が破綻すれば国が助けてくれますか?これも記入致しましたが、目を 通してくれるかも信頼できません。これも私はただ学者や其の他の団体の名前のピーアー ルに使用するのみで結果ははたして。新聞など公の所でぜひ発表の方をお願い致します。
 約束は守るべきです
(2005年)

  ※原爆が投下された直後は何度々言ってもそれは実際その場に遭遇した人でなければ、気持とか、心理や動揺は筆実しうるものでは有りません。
 いくら小説家や画家、映画等で紹介しても、それは何万分の一部に過ぎません。
 ※私は投下直後、山の上にいた。すると山のしたの海軍駐屯地の本部から直に下りてこいと命令があり、下山し市内に死体片づけと鉄道復旧の業務に当たりました。

 その時の一部を紹介します。先ず広島駅の復旧、次に死体処理と軍手も無しにリヤカーを引きドーム下を流れている太田川の橋下の所で何十人何百人とも言えない老弱男女が、
 ※兵隊さん兵隊さんと狂乱の呻き声を力の限りに水水…………………叫んでいても水筒は無いし、川の水は死体が一杯で真っ黒で飲める物ではない、未だその時のことを思い出しては正にこのことは生き地獄であると脳裏を走るのである。
 ※まだまだ4日間の記録を書けば有りますがそれは後日の事に。
 当時海軍水兵長
(2010年追記)