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広島の声

女性 入市被爆
被爆時17歳 737

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  私の場合は8月17日に、広島市白島九軒町に住んで爆風で家がつぶれ下敷に成って(焼 死)んだ(おば)の骨を、ひらいに行き(入市被爆者)です。母と一緒に行きました。本地 783−2(宗政春夫)と結婚しました。

 私の主人宗政春夫は、終戦に成り復員しました。年の少ない少年で(しがんを)して海 軍に入隊し病気に成っていたのです。終戦なので帰宅したくて弱った体で京都から乗もの をのり変えながら、広島に帰り広島市でバスをまって、宗政宅まで帰りました。(その日が 8月22日)8月22日に入市したからでしょうか? 髪の毛がぬけ落ちつるつるに近い様 に成ったとの事。60年前の事です。8月19日から(2週間)より3日をすぎているの でなんの手つづきもできません。

 (14日)のあと入市でも体にとって被爆をしたのと同じ 病じょう:毛はつがぬけ:げり:を熱も高く病気が(きかん支えんだったので)若い時に 肺をわずらい今は(肺きしゅ)で通院をしています。77才に成ります。(原爆手帳)をも らう事は出来ないのでしょうか。(弓削先生)(千代田本地)の時からよく通院して居りま した。私の母が被爆(入市)でがん、(しょくで)私は手帳のしんせいで手帳をいただき大 変に有難く感謝しております。私の娘の子供が1人(白けつ病)になりました。今は快ふ くしました。
(2005年)

 私がお便りを出しました時点では娘の次男は元気でした。が、平成19年1月にさいはつ しました。(孫→高校卒業して4ヶ間元気で工場で働いていました。)白血病で11ケ月 間の通院にて入院后に死亡致しました。

 娘は色々と(心ろうか?(円けいはげ)に成りました)
 次に主人は今の所通院しながら農業法人の代表理事(組合長)で法人の皆様にささえられ て、がんばっています。年が多くなり少し(しんどい事も有るそうです)でも(人の為に 仕事をする事はいい事と思っております)

 私も通院でけんさをしています。大腸にポリープが有り取ってもらいました。悪い物ですと先生が申されました。もう取ったからいいです、又けんさを(1年ぐらいしたら)しましょうとの事です。
(2010年追記)