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広島の声

女性 入市被爆
被爆時17歳 / 奈良県橿原市5233

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  先生が亡くなられた事が一番悲しかった。
 戦争のため私達だけが勉強できなかった。毎日農作業、学徒動員、学校へ行ったのも名ばかり 無学者。
 私達は外の学年とは違い命をかけての卒業。毎年同窓会をしようとさそわれても、毎年あの 人亡くなったよこの人もなくなったよと聞くのがいやでもう奈良の人間になりました。 見えない目と悪筆ですみません。

 恥をしのんで書きました。どうぞお笑い下さい。50年ぶりにぺんを持ました、お許し 下さい。3才で母に死別。25才で主人病死。1人息子と二人30年。今は良き嫁と四人 の孫と7人楽しく余生を送りつゝ戦争の話を沢山しています。きたない字どうかお許し下 さい。
(2005年)

 5年前遠い所わざわざお出下さいましてありがとうございました。よく記憶しています。
 10年位過ぎたように思われます。その後何とか元気にしておりますがパーキンソン腰痛 で医者通いばかり手がぶりるぶるふるって字がかけません。目もすごく悪く月の分は病院 行きで忙しいです。

 孫達も大きくなって夏休の宿だいに皆かかせ、学校から来て話してと言われて行ったりそ の後も近所の子供さんが次々と来てくれたり、こちら行ったりしています。 たゞでさえ下手な字なのにふるえて益々おかしな字であつかましくよくかいたねと孫達に笑 れました。千人以もいた被爆者もだんだんと少なくなり、わか草の会もなくなり橿原でも10 人になりました。この次は私のばんです。でも今日はジャガいもを植に行きます。畠仕事 が大好きです。

 孫の一人がいいました。そんなみっともない字で書かなくても言ってくれたらうって上げ るのにこんなきたないものよく出すねと言ってくれました。
 孫達は皆明るい小ばかり、ほがらか過ぎて笑いが絶えません。今年は3人目が大学で下が高校。
 親より大きくなりました。
(2010年追記)