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広島の声

男性 入市被爆
被爆時19歳 / 東京都中野区6671

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  1.丁度昨年の季節と同じだったと思いますが、小生が第2陸軍病院へ入院、8月中旬には 原隊安芸師団(高知の師団)通信隊幹部候補生として従事。それから昭和20年3月に復帰の予定で 8月4日〜6日の3日間故郷の呉にいた。原爆当日8月6日午後5時帰院することで休暇を取りました。

 その日は呉線は向洋〜広島迄は不通。白衣で徒歩帰院した。
 勿論、病院も焼失。同病院隣に輜重隊の馬10頭くらいかけ込み死亡。且、病院の直 径20m位の水槽2基に看護婦さん、外患者が飛込み水死etc、様々な実情を見、 生れて初めて斯かる惨状を見て、戦争と云うもの、そして、人間同士の戦いに一人寂 しさを感じた。

 又広島に入り徒歩にて帰院する迄の市電の中で苦しさ一杯の顔、そし て火傷を負った人々を見、その悲惨さは今も忘れない。病院に帰り人一人姿が見えずそ れから3週間、被災者の名簿作り被災者の火葬(20〜30体纏めて)焼却。太田川に汐 の流れで腐敗した人体の引揚(筋肉がボロボロに落ちる)、電話交換士が三角巾を頭 に。痛いから見てほしいと三角巾を解いたら蛆がわんさと湧き、この世の地獄としか思えなかった。
(2005年)