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広島の声

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女性 入市被爆
被爆時2歳 1070

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  父は当時広電(電車)に勤めていました。私は2才でした。幸にも当日、父は休日、母 と私は千代田で食量の調達に出ていまして、お陰さまで今まで私は生き長らえております。 両親は被爆後、体調くずし原爆病院へ入退院のくり返し、成長期の私には親を責めたりも いたしました。父は13年前86才、母3年前82才で他界致しました。

 被爆後、父は仕事もなく田舎へ入り農業をしながら炭焼きをしながら(当時学校の暖房 として)、痛々しい体にムチうつ姿は今もって、私の脳裏にしっかり焼き付いています。そ の地域に住んでおられる人との差も大きく、常に近所に頭を下げつづけた母の姿もつらい 思い出として残っています。

 私は現在(2005年)、32才長男、30才長女、29才次男、25才3男と4人の子が成長してくれました。8月6日が来るたびに両親の語り伝えてくれたこと、私の思い出等を子供に話し てやります。ある時、長男が心がつらくなったら原爆資料館に行き、「ひと廻りすると不思 議と心がおだやかになっている」と申したのです。今もって複雑な思いになるのです。私 はこの期にもっと核のこわさ、尊い人の命、等、強く打ち出して頂きたいと思う。「子供達が僕達は健康面で大丈夫なのかな」と尋ねます。僕達の健診はどうなの!と聞きます。私は「大丈夫よ」と言ってやるのです。

 今日の自然の異常、青少年の犯罪、大人社会の意識改革のためにも、戦争のこわさ、核のこわさ、運動を今のこの時、皆様に知って頂くようにしたら!と思います。私が病気をしてみて分かったこと、今では老いた体で核反対運動に参かされることは素晴しいことだと思えて来ました。

 昨年(2009年)10月28日すい臓がんの手術を受け抗がん剤を服用し手もと足もとが振るえて思うように動けません。今思えば書きたいことはもっとありますが思うにままならないのです。恥しい文ですが少しでもお役に立てればと思います。つらくなる時、両親の生きざまを思い出すと、私にも元気が出るのです。主人の両親は沖縄育ち、私は広島、決して忘れることの出来ない8/6であり、戦争のこわさを両方の親が体験しておりますが両方共他界致しました。
(2010年修正)