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広島の声

女性 救護被爆
被爆時16歳 / 広島県福山市3382

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  被爆当時の状況。被爆したと思われる日。

 昭和20年8月6日〜数日。

 私は当時、元呉海軍共済病院看護婦養成所に奉職しておりました。当時16才、広島が原爆を受けた時、被災して、大やけどを負ったたくさんの患者さんをトラックにのせ病院に搬送されてきました。一番若かった私達は、患者さんを運ぶ担架もなく、患者を背負ったり、抱きかかえたりして、病室や廊下に運び込みました。その頃呉も空襲を受けている最中でした。患者さんを看病してあげることも出来ず、薬もなく「看護婦さーん、助けてー」とさけばれる声、うめき声をききながら、傷口が化膿したような状態の人々のウジ虫をとったり傷口を拭いてあげる位のことしか出来ず、昼も夜も一生けんめい看護しました。

 ◎被爆直後の私の健康状態

 その頃食べるものも十分なく、病院の食事も豆かす御飯やうどん等、いつも空腹で体の調子を悪くし、栄養失調のようで「月経」も停止し、体力もだんだん弱ってきました。

 ・8月15日終戦になり一時生家に帰りました。その後昭和29年から市内の小学校に養護教諭として務めました。

 平成3年9月に甲状腺の腫瘍がみつかり摘出手術を受けました。以後手がふるえる症状が出たり、糖尿病が発病したりで現在も病院に通院しながら治療を続けております。以上。
(2010年)