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広島の声

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浦本瀋一さん 救護被爆(己斐)
被爆時24歳 / 東京都世田谷区5596

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  広島原爆投下当日大竹海兵団では直ちに救護隊編成、隊長に先任の医官、私と下土官、衛生兵4人がトラック1台に医療品、衛生材料を満載し、広島に向う。

 救護活動 己斐町に私達は仮救護所を設営し、火傷外傷等の手当処置に追いまくられる。又多くの人達は「水を、水を」と要求している。
 被爆者の治療 大竹町の国民学校他に収容された被爆者の治療処置を海兵団の軍医官と日赤救護班の看護婦が交代で行った。被爆者達の露出部は外傷、とくに皮ふがえぐられたように、一部は黒化し、ひどい火傷、ビラン状態、そこは化膿して、蛆虫が多数うごめき、周囲には蠅が飛びかっている。ことに耳、鼻の穴にはびっしりと蛆がつまっている。ピンセットで虫を取り除き、消毒した後、リバガーゼで傷を覆うだけがせいいっぱいである。また傷もないのに、顔色は土色になり、全身虚脱、脱水状態をおこし、死亡する者がいた。頭髪は抜け、見るも無残な姿を横たえている。苦痛に耐えきれず「う〜ん、う〜ん」と呻く者、すすり泣く声、時には奇声を発する者、水を要求する悲しげな声、部屋の中は熱気と臭気で異様な状態である。見るに耐えない状況とはこのようなことであろう。まさに生き地獄そのものである。

 まとめ 原爆の被害は戦後、長く続き、ことに放射線の被ばくによる血液、臓器等の障害は永年にわたり、白血病、癌などの発病を起こしている。このような惨状を見て、核兵器による戦争は絶対に禁止すべきである。
(2010年)