english

ここから本文エリア

  • 閲覧上のご注意

広島の声

女性 救護被爆(松原)
被爆時16歳 9738

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  私は広島が原爆投下された日より10日もすぎて、8月16日に救護班として広島に入市し て被爆者となった者です。当時昭和20年8月15日終戦の日、天皇陛下の放送を聞いてす ぐ特別救護班出動となったのです。8月16日岡山から広島へ貨物列車に乗って炎天下の 広島市のガレキの中を半日位歩いて収容所まで行く時、見渡す限り焼の原の中死んでいる人、 電柱の倒れているの、まがっている水道柱など何ヶ所も見て歩きました。

 昭和60年6月頃一緒に行った友達から被爆者手帳の申請をすることをすすめられ手帳 を申請しました。
 一週間程の救護でしたが1ヶ月以上も居た様な気がしていました。食事は1日1回オニギ リ1ヶでした。り災者は教室や講堂に収容してありましたが死亡している人、生きている 人、水、水と言葉を出している人、様々でしたが、翌日は死亡していました。生きている人は 焼けどが腐蝕してウジ虫がわいている人も多かったです。こんな状態の人を水で洗ってワ ラ灰をかけるなど残酷でした。

 今ではこんな話も出来ますが話せることの出来ない私達の 気持でした。本当に残酷です。私達は1週間位でしたが帰って検診を受けると体重が増加 して白血球が増加し血沈が下り、1週間程休ませられました。栄養失調だったそうです。

 こんな残酷さは世界からなくなってほしいです。核の問題は良く聞きますがなかなかなくな らずどんな事になるのかこれからの人はどうなる、世界の人が分らん人ばかりと腹ただし い限りです。
 私の思いをだらだらと書きました。読みにくい字ですみません。何しろ私は 16才と手帳に記入してあるので当時の事をおぼえておりません。心の中にしみこんでい ることのみで、お伝えする様なメッセージにはならないですがよくはんじて読んでくださ れば幸です。
(2010年)