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広島の声

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吉宗英子さん 救護被爆
被爆時23歳 / 広島県三次市11338

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  8月6日午後から多くの被爆者が芸備線で輸送され、庄原日赤病院、三次中学校(現 三 次高校)に収容され、一杯になり、十日市国民学校に(十日市小学校 現)も収容された。 我々も招び出され、十日市国民学校へと救護に出る。1人の被爆者(男性)息絶えだ えに、「水、水、水を下さい」と聞き取れぬ声で云われ、水は与えられないこと聞いていた ので、そのまま去った。校舎を一巡して再び行って見ると、息は絶えていた。今でもその ことが胸につかえている。なぜあの時、少しでも末期の水として、口をしめらせてあげなかったのだろうかと……。

 翌日は救護班として、広島へ出向くことになっていたのに、三次国民学校(現 三次小)にも患者が収容されると云うので、勤務校の三次小で、救護する。割と軽傷の方であったので、最後まで(二学期初旬まで)背中の火傷を治療したのはS氏であった。奥様は被爆死、赤ちゃんは母乳の授乳中、母親の体で死は免れたものの、頭が出ていたので頭部は傷だらけでガラスの破片が顔、頭の中にささった侭。現在は成長して県会議員として活躍中。食用油に白い粉薬を混ぜ、火傷の治療に使った。(チンク油のみ)再び、核など使用してはならない事を強く叫ぶ。7、188人の学徒等を奪った原爆に大きないきどおりを感じる。
 一生、多くの犠牲を出したことは、憤りを感じながら、人生の最後を終わるであろう。
(2005年)