english

ここから本文エリア

  • 閲覧上のご注意

広島の声

大場三千子さん 救護被爆
被爆時19歳 / 島根県益田市8383

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  何時も戦争やテロにより人間が簡単に死に行く事。イラクでは自爆によりあたら自分の命 を粗末にしている事は悲しく思う。丁度、日本の戦争も当時は特攻隊という形で無理矢理に戦争にかり出されて若い命を犠牲にした事は、今思うに全く教育により国民全体その様 な気持になっていた事は自分自身も思うところです。

 私達兄弟も一生県命にお国の為と 云うことで兄22才、弟18才、二人共戦争の犠牲になり、兄は広島で、弟は徴用で海軍工廠 で亡くなりました。私もあの時代に何かお国の為と云う事で陸軍病院に看護婦として志願 して多くの兵隊や被爆者を看護しました。毎日毎日死んで行く若い命を。今私は80才にな ります。この長い間生きてもほんとに死にたくありません。殺されたくは全くありません。 それなのにあたら二人の兄弟は結婚もしないであたら命をなくして死んだと想う時、一人残 された私は仏の守り墓守をしながら今だに涙します。

 どうしてこうも人を殺し合う事や自分から命をたつことがあるのかは考えられません。今、平 和がもたらされたのは日本が戦争で負けて民主主義と云う国に変った現在のある事は、あ の大東亜戦争で多くの犠牲者があった事、又その家族がいかに悲しい想いをして年月が経 って自然に忘れ去れる事は、遺族としては悲しく想う。平和でおだやかな日々で残り少ない (2005年)

 山口にて陸軍病院の看護婦として救急看護に広島入り被爆の兵士の看護にたずさわる。多くは2日〜3日で死亡の現実を見る。兄も広島市にて被爆死する。中国軍管区司令部にて主計軍曹後、曹長となるも遺骨の受取に広島市に入る。広島市の現状も充分に見ている。弟も戦死する。今はもう子供や孫に話してもあまりピンと来ない。もう85才にもなりあの戦争の話を聞くたびに胸が痛み腹立たしくなります。(最近戦争の生き残った人のテレビを)
(2010年追記)