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広島の声

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小出淳さん 胎内被爆(皆実)
長野県上田市6584

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  私は胎内被爆者です。もちろん父も母も被爆者です。
 我々家族は広島で被爆し、終戦とともに父の実家がある長野県に引き上げて来ました。 父は軍人でしたが、その父も3年前に82歳で他界しました。循環器系を患っていましたが、それが被爆と因果関係があったのか、なかったのか田舎の病院ではわかりません。

 終戦に より父は職業軍人だった為の社会的な制裁、原爆による財産の焼失、年老いた両親と祖母、 まだ結婚していない3人の弟、妹の面倒、そして私ども兄妹3人の養育と、経済的負担を 一人で背負いその苦労は戦後20年近く続きました。それは子供心にも強く焼きつき今日 に至っております。父は息子だけに示す陸軍士官学校を卒業した誇りと、戦争責任と言う重 い世論と、原爆を投下したアメリカヘのわだかまりを持ち続けながら、ぼろを着て、やっ たことの無い百姓仕事をやりながら自分は命運だけは強いと笑っていたことを思い出しま す。一方、裕福な歯医者から嫁に来た母は、よくこの厳しさに耐えたものだと感心させられ ます。子供だった為なにかはっきり覚えていませんが、地方紙の新間記者がきて写真を取り よく元気で頑張っていると記事になったと思います。

  私どもが「被爆者健康手帳」の交付を受けるまでにはなんと被爆から35年の月日が流れました。理由は被爆を証明してくれる知人があの日を境に散り散りばらばらになり如何する事もできなかったとのことです。証明を得たのはまったく偶然で、父と同期の友人からの突 然の連絡でした。その方に我々家族が広島で被爆したことを証明していただき、「被爆者健 康手帳」がやっと交付となりました。
 私はやはり健康面で何時もモヤモヤしています。毎日の生活では被爆などまったく忘れ 仕事に趣味にと張り切っていますが、被爆者健康診断の通知を見たり、人間ドック受診日 が近づくと何か落ち着きません。被爆者健康診断も一度受けましたが診察項目が不十分で、 その後は定期的に人間ドック受診としています。

  私は被爆者の中でも若い方でしょう。もし母の被爆がひどければ、この世に生まれる前 にあの世行きでした。私も命運は強いと思うことにしています。お蔭様でなんとか経済 的にも楽になりました。しかし被爆者はこれから日々高齢者となり60年の歳月が記憶や 関心を薄れさせています。「在外被爆者」に対する援護法の充実など、早くしないと皆あの世に行ってしまいます。今日の社会は課題は山積みです。
 時間は何も解決してくれません。政治がやらないで誰がやるのですか。
 この企画により何かが少しでも変わることを期待し、担当記者の皆様に敬意を払いつつ 筆をおきます。失礼いたしました。
(2005年)

  アンケートから5年たっていますが、その間に母も(昨年2月)他界しました。
 被爆者はどんどん減っています。次の世代に残すメッセージとしておよばずながら協力したいと思います。
(2010年追記)