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広島の声

男性 胎内被爆(舟入中町)
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被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  私は被爆当時は胎児でした。したがって、生き残った家族の話を基に、被爆体験を記してみ たいと思います。
 被爆当日、我が家は6人家族でした。家族は祖父、祖母、父、母、姉、 兄です。父は昭和20年の5月頃に34才で徴兵されました。徴兵される前は似島で造船 所を経営しており、当時、技能者は徴兵をされないという制度になっていたらしいですが、 徴兵は行われていたらしい。生前、父は「自分が死んだら戦争は終わる」とよく言ってい たらしく、原爆投下により父が亡くなって戦争は終わりました。

 他の家族については、祖父は町内(舟入幸町)の役員をしており、町内を同僚と巡回中に被爆し、光ってすぐに伏せたらしいのですが、上半身の背部分を火傷しました。母は姉が赤痢で入院をする日で入 院準備の為家の中に居ました。
 家は傾いたけど、倒壊は免れ、祖母、姉と共に無傷でした。姉は赤痢で入院をする予定でしたが、病院も無く、入院をしませんでしたが、赤痢はそのうち治ったそうです。兄は素裸で外で遊んでいたらしいですが、爆風で飛ばされ全身火傷です。しかし、祖母の弟が、江波まで迎えに来てくれ、似島で火傷をした状態で、毎日泳いでいたそうです。そして、現在は火傷の跡もほとんど判らず、現在も非常に元気です。
(2005年)