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広島の声

女性 健診
被爆時0歳 12518

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  1.広島の駅近くで被爆したおばさんが、死ぬまで「あがいないびせいことは誰にも話せ ん!」と言って死ぬまで誰にも話せなかったこと。この人は当時死んだと思っていたら、 真黒い顔をして帰って来て(何日か経って)何日か寝続けたそうです。地ごく絵だったよ うです。会うたびに惨状を話してくれたらと思っていましたが口をつぐんでいました。

 2.父が定職もつけなく、段だん畑の上から観ていると畑仕事をしていても兄の方ががんばってクワを振っていた様子を見て、子供心に父がしっかりしてくれたら貧乏から抜け出せるのにと思っていましたが、原爆病の1種に“ブラブラ病”があると肥田先生の話の中で知り、死んでしまってから生きている時は父をきらったことを本当にすまなかったと思っています。
 (注)父は大八車で爆心地に近所の人の死体を捜しに行ったそうです。

 3.もう戦争はありえないと思っていましたが黙っていたら憲法9条がなくなり、日本の国 は大手を振ってアメリカと一緒に外国に行って戦争を平気でする国になるという危険 が迫っています。子供達や孫達の為にも戦争の恐ろしさ知っている私達が日常の中で 今の競争社会はおかしいよ、弱者と言われる人ほど生きづらい今の社会、安心して子供 も生めないなど、“どこかおかしいよ”と言い続けて行くことが私達の責任ではと思ってい ます。

 そのことが、人間が人間らしく生きられる社会が実現するのではと思います。で も、大変しんどいです。地域で話していてもマスコミの取り上げ方の方が早いので、リス トラとか民の方が安上がりと、自分達が苦しいのによけい自分達の首をしめる事を平気で 言い合う関係が出来上がりつつあり、人として生きる権利とか日常的に余裕がなく、だん だん殺ばつとした人間関係がどこでもあります。いやです。戦前にもどる様で怖いです。 人が抑えつけられることのない様に、微力ながら何とかしたいです。
(2005年)

 就職で東京に出る時に「広島でピカドンにおうたことは誰にもしゃべったりしてはいけんヨ」と母に言われ子どもが生まれ平和を考える人たちと出合うまでかたくなに守っていました。
(2010年追記)