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広島の声

下村静満さん 不明(基町)
被爆時22歳 / 広島県世羅町13365

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  1.今も忘れられないことは戦後60年、身に焼きついて、今も一日一日、一事一事わすれ られない。(当時は原爆という言葉は無く、ピカドンと言っていた)

 2.日本は大和魂+神風+神国日本を一億一丸。絶対勝つと信不疑。
 米国には一にも二にも科学と物量の大差
 例、私は戦車学校12期生・日本の戦車 前方装甲2cm、米戦車は20cm
 ・有効着弾距離日本=500m〜700m、米=2000m
 ・各車両の無線機の通話距リ日本=2〜3km、米=10km
 (決)対戦車戦の時、敵がいち早く発見、より遠くから砲丸が命中
  (日本徹甲弾は例え命中してもポロっと団子の様に落ちて効果なし。厚味の差)

 3.山本五十六元師が飛行機で集中攻撃を受け、戦死されたのも無線機の差以外何物でも ない。
 4.アッツ島、硫黄島、レイテ島外沖縄。外皆んな皆んな物量の差、その他数限りなし。
 5.私は戦後S.23年、24年と、広島文理科大学(科学教育研究室)入り、U235、U92につい初めて認識した。

 最後に8月15日終戦の翌日、山口県柳井の町中で傷痍軍人の家という名札のかかった(玄 関)家へ入って
 「水を一杯恵んで貰えませんか」と言うと、奥のほうから小母さんが出てきて「兵隊さん なんかに飲ませる水は有りません」。あ、やっぱり負けたんだ…と。
(2005年)

 1.1945、8/15 ラウドスピーカーが鳴る。○正装といっても皆着のみ着のままー参謀連中は金モールを胸に。
 ◎(将校以上の者は正装して直ちに地下壕内に集合せよ)シュクシュクと一番奥の室に…。 将校全員といっても2〜30人位か。詔勅が了ると同時或る参謀が机をタンタンと叩き、畜生と怒鳴って飛び出して消えた。
 吾々下級将校は北方の可部(被害を免かれた旅館へ辿り着き一晩中飲んで騒いだ)。翌朝起きて見たらピストルが無い。半長靴がない…。

 2.誰れ1人として喋った事のない、何故広島に原爆を!!
 ・明治27、28年日清戦争。明治37、38年日露戦争共広島城内に大本営を置き共に明治天皇が大本営に居られて勝利した。
 ・以来広島は軍都として栄えて来た(五師団司令部。中国軍管区師令部外)
 ・広島駅の裏全部東練兵場。裏山には大トンネル2本。奥には大ホール(大体育館位もある)。
 ・畑元師次下高級部官が此処に居た。
 ・昭和天皇を此の広島へお迎えしようと長野県(?)引き合っていた事等も。
(2010年追記)