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広島の声

山中令子さん 二世
埼玉県越谷市11064

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  私は二世です。“雲母くらぶ”と言う市民団体に入会しています。その機関紙に書きました 文章をつけておきます。時々、疲れると白血球数が3万〜4万になり、倒れます。原因は わかりません。戦争はなくさなければいけません。はやく、なくなれ!せんそう。

 私は、父が広島で被爆したあと生まれた被爆二世です。父は、原子爆弾投下から一ヶ月が 過ぎた頃に、真っ黒い顔をして帰って来ました。その一ヶ月の間、原爆が落ちた後始末を していたそうです。父の被爆後に生まれた私の兄は、生まれて十ヶ月後に原因不明で亡く なったので、そのあとに生まれた私は、とても大事に育てられました。父は、私が生まれ てからは、この子が歩くまで、この子が学校に行くまで、この子が、この子が、と、生き てきましたので、「私の子供の顔が見れて、これ以上の喜びは無い」と、よく言っていました。

 私は、北にある六畳間にいつも寝ている人が居たという幼い頃の記憶があり、成人してか らも、その部屋に入るのが怖くていやでした。大人になってから母に聞いた話では、六畳 間に寝ていた人は父で、身体から出る膿がひどくて寝ていたそうです。私は、幼い頃から 中学校を卒業するまで、母に連れられて、毎年行われる平和式典に最後の灯籠流しまで参 加させられました。当時、平和式典の時には、原爆ドームの中に入れたので、入れられま した。ドーム内の空気・感触は、いまでも強烈に覚えています。夏なのに冷たく、原爆で なくなった人たちの魂の中に身を置いているような感触でした。

 父が亡くなり荼毘に臥す時、父をよく知っている人達が、バンザイ讃唱をして送り出して くれました。父の遺骨は、二度焼かれたようにボロボロでした。
私は、戦後生まれですが、これが私の戦争体験です。
(2005年)

 人がこの地球に生を受け、現代まで多くの戦争がありましたが、平和は一度も来ていません。戦争では平和は来ません。いくつ戦争をすれば、学習出来て話し合い、お互いに思いやりの気持を持って平和になるのでしょうか?人間には学習能力が、あるはずです。悲しい限りです。
(2010年追記)