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長崎の声

「直爆」は「直接被爆」のことで、原爆投下の際、当時の広島・長崎市内やその隣接区域で、直接被爆したことを示します。

直接被爆・距離1.1km(大橋) 平洋さん
あの当事の事を思い出すと、今だに他人に話す気にはならない。被爆した人にしかわからない。
直接被爆・距離1km(油木) 米田チヨノさん
姉の家が7人皆、死んだ。最後まで生き残った小学1年生の姪は死にたくないと苦しみぬいて死んだ。
直接被爆・距離1.4km(家野) 内田保信さん
米軍が「この病院はわれわれが使うから、君たち日本人は出ていけ」と言われ、やむなく退院させられた。
直接被爆・距離1.2km(大橋) 小玉輝幸さん
昭和20年8月9日、あの日さえ無かったら、と思いの繰り返しで過ぎた65年間である。
直接被爆・距離1.8km 濱田庄八さん
百光の光と共に天地もくだける様な地ひびき、目をひらいたが世の中は真くらだった。
直接被爆・距離1.6km(幸町) 宮崎昌宜さん
年々風化し夏になると流行病のように、被爆風が吹き去っていく。
直接被爆・距離2km(住吉) 池田満さん
平和の日の行事、食べざかりの学徒がめしを腹一ぱい食べたいと言って死んでいったので、おにぎりを2千個作り配った。
直接被爆・距離1.2km 白濱清太郎さん
被爆者と言うことでまとまりかけた縁談も1度ならず3度も破談。
直接被爆・距離1.4km(大橋) 女性
亡くなった友達から私は生かされていると認識してから私の生き方が変わった。
直接被爆・距離1.5km(家野) 神田榮守さん
14歳で被爆し、60年を経てきた。かなりの間、被爆の体験を口にしたくなくて、過ぎてきた。