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長崎の声

「直爆」は「直接被爆」のことで、原爆投下の際、当時の広島・長崎市内やその隣接区域で、直接被爆したことを示します。

直接被爆・距離2.5km(平戸小屋) 久松省三さん
水をもとめる人。表裏不明の死体をまたいで帰ったあの日。
直接被爆・距離2.5km(新中川) 藤野義男さん
焼けた炎の中に被爆者の悲しい声が聞こえるような感じを、今でも鮮明に記憶している。
直接被爆・距離3.4km(中川) 藤野道子さん
朝「いってらっしゃい!」と元気よく家族で送り出したのが最後に見る父の姿だった。
直接被爆・距離4.3km(大浦東) 早田博治さん
学校の校庭で、家の柱などを組んで原爆で亡くなった方達の死体を焼いているのが今も目からはなれない。
直接被爆・距離2.2km(出船) 森田正三さん
被爆後、病院にて多々の人が死に、一家七人で入院中5才の男の子が残った。元気に育ったか。
直接被爆・距離4.7km(東琴平) 水田泰正さん
あのような体験は二度としたくない!
直接被爆・距離5km(本河内) 中村正彦さん
学校の運動場は被爆で死んだ人達の火葬場になり、教室は被爆した人達の病室になった。
直接被爆・距離3.5km(伊良林) 浦田正人さん
朝叔父の背中のウジ虫を取り夕方になると又ウジ虫が出ていた。
直接被爆・距離7.5km(小ヶ倉) 川内七雄さん
子共だったので何で黒いボロ切れを身につけているのか解らなかった。皮膚が焼け焦げただれたれ下がっていたのだと…
直接被爆・距離2.5km(平戸小屋) 若田部年子さん
焼け野原を何時間もかけて駅までたどり着き、夜10時頃、帰宅。親、身内が待っていてくれた。