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長崎の声

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柿本直人さん 直接被爆・距離1.3km(大橋)
被爆時15歳 / 神奈川県横浜市戸塚区6116

写真撮影:松本栄一
被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。
 被爆地=長崎大橋三菱兵器製作所 鋳造工場=1.2Km
自宅=橋口町222番地 爆心地から300m
当時家族=両親と姉と私の4人(3人死亡、私だけ助かる)
父と姉=自宅で爆死。母 不明

 私は中学4年生の時、学徒動員で長崎市、大橋の三菱兵器製作所鋳造工場、(真珠湾攻撃で使用した航空魚雷は当製作所で作られたものです)で作業中に原爆の直撃を受けました。
 工場は爆心地から約1.2kmの地点で、工場は全壊し、私は奇跡的に助かりました。
 工場を脱出してから夕方、水之浦町の長姉の家に辿り着くまでの間には、想像を絶する程の地獄さながらの体験と様々なことに遭遇しました。
 長姉の家は、長崎三菱造船所の背後の稲佐山の中腹で、丁度山陰になっていた為、被害は僅少でした。

  翌朝、義兄と二人で、私の家に行きました。家の焼跡には父と姉と思える遺体があり、母が行方不明でした。
 私の家は橋口町で、爆心地の松山町の隣町で、爆心地から約300mで、浦上刑務所の丘の浦上天主堂側の登り口にありました。
 当時、私の家族は両親と姉と私の4人家族でしたが、助かったのは私だけでした。
 それから、私は、その年の9月20日頃、原爆病で倒れるまで、毎日1人で早朝から、日暮れまで、私の家と松山町の米の配給所を中心として、母を探し歩きました。
 爆心地から4.50m位の所に米の配給所があり、母は、若しかすると、米の配給を取りに行って被爆したのかもしれないと思えたからでした。
 周囲の山の中から、市外の農家の一軒々々に至るまで、隈なく探し歩きましたが到頭なんの消息も得られませんでした。
 灼け付くような真夏の太陽の下、焼けつくような焼跡の瓦礫の原を歩き回るのはとても言葉では言い尽せない程、苦しい毎日でした。
 母を探し歩いている間に、焼跡で、4度気を失って行き倒れになりましたが、幸いにも、通りがかりの人達に助けて戴きました。
 今、こうしておれますのは、その人達のお陰なのです。
 その人達は名も告げず、励まして下さって立ち去られました。その時々のことは、65年たった今も忘れることは出来ません。核兵器が如何なるものであるか、想像を絶する破壊力、殺傷力、それに、計り知れない放射能障害、これまでの65年の間に、体の異状のない時がどれだけあったか…
 次から次と、なんとも得体の知れない、体の不調に悩まされ続けてきました。
 その間、絶えず脳裏を離れなかったのが核兵器に対する一途の思いでした。

  核兵器に関する報道、国際会議、核実験、核実験禁止条約、核不拡散条約等、中でも、1968年に核不拡散条約が調印されているにも拘わらずイスラエル、インド、パキスタン、それと、北朝鮮と、条約は次々と破られ、又、イランが今、問題になっており、核不拡散よりも、拡散へと、核兵器に関することは、全く手詰りの状態に陥入っていましたが、昨年(2009年)4月にオバマ大統領が「核なき世界」を宣言したことによって、漸く、その機運が見えてきました。
 今年4月には、米・ロ首脳が新たな核軍縮条約の交渉で、合意しましたが、お互いに強い駆け引きが介在し、戦略的な面で、核弾頭保有の実数が不透明で、とても「核なき世界」はいつの事になるのかと思わざるを得ません。
 又、今年5月3日からニューヨークで、約1ヶ月間にわたって核不拡散条約再検討会議が開催されましたが、北朝鮮、イランの核の問題には歯止めがかゝらず、各国の駆け引きが先行して、仲々、前途多難の状態です。
 それに又、このような大々的な国際会議を開催していながら、米・ロは核弾頭の削減に努めているのに、他の核保有国の弾頭数が一向に問題化されないのはどういうことでしょうか。
 このような有様で、果して、核兵器の廃絶が本当に出来るのでしょうか。
 若しも、この侭、核兵器の廃絶が出来なかった場合、人類に未来はあるのでしょうか。
 第三次世界大戦を避けて通れるのでしょうか。
 この最も重大な問題について、突き詰めて考慮することは出来ないのでしょうか。
 人類にとって、これ程重大な問題はないのではないでしょうか。この事について一度原点に戻って、真剣に、見詰め直してみることが是非とも必要なのではないでしょうか。
 世界のそれぞれの国が、自国の国益の為、国威の為にとらわれている間に、我々人類の危機は音もなく確実に、刻々と迫って来ているのです。
 この現実に一刻も早く、一日も早く気付き、すぐに発想の転換を計り、確実な解決の道に打ち進むことが最も大切なことではないでしょうか。
 その危機の第一は、地球人口の激増です。そして、それに伴って起る食糧の不足、水不足、天然資源の枯渇、それに次いで起る、自然破壊…
 これ等のことに依って、引き起される世界の様々な現象です。
 これ等について、気がつかず、或いは、軽視したり、無視したり、放置したり、成りゆきに任せて生きていったら、この世界は、人類はどうなるのでしょうか。
 これ等のことについて、詳細なことは書けませんが、特に、我が国、中でも広島、長崎が、全世界に向って、核兵器廃絶を身命をとして訴え続けてきました。
 第二次世界大戦終結後、今日まで幾多の戦争の中で、核兵器が何度か使われそうになって、使われなかったのは、広島、長崎の熱心な訴えの声が少なからず、貢献したのではないでしょうか。

 私達被爆者は、今ではすっかり高令化し、その数は年々、激減しています。私達が存命中に、核兵器の廃絶が実現することは、到底有り得ないことです。
 でも、この願いだけは、吾々の子の為、孫の為、全人類の永遠に生存の為、永遠の平和実現の為に、命のある限り訴え続けねばと思って居ります。
(2010年書き換え)