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長崎の声

宮崎貞雄さん 直接被爆・距離1.2km(茂里)
被爆時17歳 / 長崎県諌早市1131

写真撮影:松本栄一
被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。
 私は製鋼所養成工員でした。8月9日の担当の工事場は機械場2階トタン屋根の上の配 線工事でした。茂木町の久保君と宮崎県の比江島君、それに上師の溝田さんの4名。工事 も順調に進んで昼迄には完成すると頑張って居ました。其の時ピカット稲妻の様な光がし たかと思うとその後は全く意識が無く強い爆風で飛ばされ、気付いた時は地上の機械場の中 でした。
  外は真暗闇で何も見えない。数分後少し明るさがして来て自分の居場がわかり、今 度はすぐ3名の名前を呼びましたが皆からの返事は来なかった。そうこうする中に西の方 から火災が発生してもう駄目だと思い、工場から逃げ出し浦上駅の横を通り岩川商店街を 小走りに抜け出し大学病院の方向に、今度は小さな小道を上の方に皆と一緒にのぼる。かな り登った所に小サナ池があり水がたまって居た。その水たまりを多くの人が取り囲んでい た。ある人は足のきず口を洗い、ある人は腹ばいになってその水をのんでいた。なんとむ ごい事だろうと思い、でもどうする事も出来ないのです。
 その場を後に又上の方に向け歩き出しもう大分登った様でした。誰となく腰を下し西の方を見ると真黒の中に太陽だけが真赤な日の玉となって浮かんでいました。まだ知った方とは一人でも会ってなく無言です。其の時上師の溝田さんの様な方が下って来られ声をかけたら、おお宮崎と言われ、ただ泪が溢れ言葉が出ない。溝田さんが言われるには今夜は家の防空壕に泊り明日早見帰るようにと言われた。上師の家は松山町野球場近くにあった。溝田さんは、頭にタオルを巻き付けその上に血がにじんで居た。溝田さんと一緒に防空壕の中での会話、一生忘れる事は無いでしょう。
(2005年)