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長崎の声

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松藤税さん 直接被爆・距離1.2km(浦上)
被爆時13歳 / 栃木県宇都宮市9609

写真撮影:松本栄一
被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。
 異常な爆音(飛行機)が頭上を通り過ぎ、閃光が走ってから、ハッとして目と耳を両手で押え前かがみの姿勢をとった。……その後気がついた時は柱や梁の間に閉じ込められていた。何とか這い出して見ると周囲は真っ暗、周囲の家も全部ペシャンコに薙ぎ倒されていた。弟の姿も見えた。妹は声があり下敷になっていた。近所に出かけていた母が、あわてゝ帰って来て妹を助け出した。左背中を大火焼。私は背中を打撲しており手に力がはいらない、ブラブラの状態。母は足首のアキレス腱を負傷していた。数ヶ所から火の手があがり始めた。祖母を捜したが不明。危険がせまってきたので山側の墓地へ避難を始めた。途中は阿鼻叫喚、助けを求められるが、我々も手負いと非力、協力が出来ない。逃げるだけ。全身火傷で水膨れになった子供が苦しんでコロゲ廻っているが手の施しようがない(カアチャン、イタイヨー、ミズ……)。

 日が暮れて擂り鉢状の町は火の海。小学校の校舎の窓から炎が吹き出している。次の日は戦闘機が何回も飛んで来た。低空飛行で勝誇っているように見えた。私の目の高さと同じ位置。さすがに危害は加えなかった。緊急診療所に行く、途中の道の両側にも重症者がひしめき治療を受けたり待っていた。我々のケガは比べると軽い方だった。

 焼け跡には云葉であらわせないような悲惨な状態が続いていた。死体が多い。この世の終りかと思ったりもした。しかし、それを集めて処理して下さっている方々もいた。
 数日後に妹が死亡した。原爆症と云われ、この頃から元気になっていた多くの人が次々と亡くなった。私も弟も症状が表われはじめた。畳の敷いてある家へ移る。隣で弟が苦しみながら私に云った。(兄ちゃん先に行くヨ)私は(ウン……)何も云えなかった。

 (嘔吐・下痢・脱毛・歯茎出血・紫斑点等)家族の手厚い看護で私は助かった。 初めて外に出たときはスレ違う人が遠廻りにしていた。それでも嬉しかった。尿管結石を繰返し、高血圧、狭心症、糖尿病、胃ガン、まだまだこれからも発病しそうです。
 でも、多くの命を引きついでいるつもりです。頑張ります。
(2010年)