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長崎の声

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深堀寛治さん 直接被爆・距離1.7km(本原)
被爆時12歳 / 東京都町田市7641

写真撮影:松本栄一
被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。
 私が軒下に座っていた時左上空高く銀翼とエンジン音がしたが友軍機と思い込んでいた 時、急に大きなエンジン音になりました。次の瞬間、鞭で打たれた様な閃光が走り轟音爆風 で家はすっ飛びハッと思ったら下敷きになっていました。必死で頭上のガレキ取払い逃 げ様と20m位行った左側溝で、私の名を呼ぶ声に見ると耳も鼻も頭も焼溶け丸く赤身で目 玉だけ開け、水を欲しいと。
 私からは、だれだか判らず呆然としている時、首が折れた様にバッタリ横に倒れたが、今だにだれか判りません。
 今でも心に残る忘れられない事の1ツです。
(2005年)

  私は小学校6年生の時に長崎で被爆しました。そして顔や手足に傷を負い65年たった今日でも深いケロイドの傷が残って居ります。実は私の家は爆心地より400m位の所にあったので、もし家に居たら肉も骨も蒸発し何も残らなかったと思います。被爆1ヶ月前の7月始めに1.6k離れた母方の実家に疎開し九死に一生得た訳です。
 当日は晴天で暑い日でした。10時30分頃警戒警報が鳴り、間もなく空襲警報になり皆んな防空壕に入っていた所、11時少し前でしょうか空襲警報が解除になったので皆んな良かったと喜んで壕より出て来て祖父、祖母と3人で軒下に座った所でした。そして前記述通りです。
 B29が接近しつつある状況の中、何故解除したのか納得できない。壕に入れば、せめて顔の判別位、出来たのではと悔まれます。一緒に軒下に居た祖父は5時間後、祖母は翌日に帰天しました。私も6年前大腸癌腹膜炎併発で半年間入院、又も九死に一生を得た事に感謝をします。御蔭様でどうにか生活してます。現在願わくばこの様な悲しい事世界中の子供を守る為め地球上から核兵器の廃絶を強く祈る者です。
(2010年追記)