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長崎の声

島野英二さん 直接被爆・距離1.2km(大黒)
被爆時13歳 / 埼玉県和光市776

写真撮影:松本栄一
被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。
 当時14才中学2年生既に学徒隊として工場勤務だった。8月9日原爆当日、出勤途中 で傷をおい乍らも慌てて家へ戻った。幸い山の裏側で直接の被害は受けなかったが爆風で 2階は少し傾いた。原爆投下翌朝、嫁ぎ先の姉の母が訪ねて来て嫁(姉)が帰ってこない との知らせであった。結婚3ヶ月目、旦那は徴兵され、後を追う様に女子挺身隊として工 場(城山)へ派遣された。実母が何回か訪れた事がある。嫁ぎ先の母と実母が被災地へ急 遽出向いたが現地の余りにも悲惨で惨酷な状況で、腰を抜かし、又出直しましょうとの相 談に、実母はそれなら1人で行きます。気迫に押されたのか同行する事になり、現場で遺 体の確認をしたそうです。それも結婚時に贈ったワンピースの1片が背中に残っていたた めだった。私も荼毘のため兄、姉と一緒に現地を訪れたがその悲惨さは今でも脳裏にやき つき一生忘れる事はないだろう。

  特に忘れる事が出来ないのは、木材もとぼしく、姉(2 3才)の遺体を完全に焼き切れなかった事。記憶では上半身は焼き切れず放置したことだ った。その時遠方より天秤棒に何かをぶら下げて接近するものがあった。真黒こげになっ た手と手、足と足を結んだ人間だった。恐らく両親がひたすら探し求め変わり果てた子供 を荼毘にふす前に我が家へと急いでいたのだろう。何と残酷な様相だったのか。世界の条 約で禁じられている原爆に依って何も罪のない非戦闘者を一瞬にして十数万の人間を殺害 する事は許されるものではない。現今世界各国で原爆製造に最大の関心を寄せているが、 若し再度原爆投下を実行されたら世界中が全滅し生き残っても二次感染により何人も生 き残る事は出来ない。その悲惨な状況は体験しないと判らない。最後にノーモア広島、ノ ーモア長崎と叫び続けたい。
(2005年)