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長崎の声

米田チヨノさん 直接被爆・距離1km(油木)
被爆時18歳 / 神奈川県横浜市青葉区4602

写真撮影:松本栄一
被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。
 (1)8月9日原爆をおとした後にしょういだん攻撃をして来て、目の前で5、6人の人がな くなれた事。

 (2)姉の家が7人皆、死にました。城山町でしたからさいごまで生きのこった小学1年生の 姪が私の家ににげて来て何日かすぎて、体にはんてんが出来だして毎朝体中のはんてんを かぞえながら、はぐきからうみが出て、げりもひどくなって、子供ながら死が近づいて来た とわかったら死にたくない、しにたくないと苦しんで苦しみぬいて死んでしまった事を思 い出すと本当にたえられないです。

 (3)今日本は戦争を知らない人が多くなりました。語りべで若い人達に話すことがありますが、 日本で戦争があったらまっ先に兵隊に行って死にたいと言う人がいました。大学に今年も 入れなかったというだけで。語りべを何のためにするのかと、かなしい思いをしたこと でした。みんながみんなでない。なきながら聞いてくれる人もたくさんですから、原爆のお そろしさを死ぬ迄しなくてはとも思ったりしています。
 きたない字でごめんなさい。右手を不自由にしたので、60年たっても左手では上手にか けないで。
(2005年)

 世界中の国々の核兵器が、被爆者が生きてるうちになくなる事を心から願います。
(2010年追記)