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長崎の声

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内田保信さん 直接被爆・距離1.4km(家野)
被爆時16歳 / 長崎県長崎市7684

写真撮影:松本栄一
被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。
 1.旧制中学生として、学校での授業をとりやめ、三菱長崎造船所に学徒動員中でした が、ちょうど、S20年8月9日が同級生の中村太郎兼介と私の二人が戸町のトンネ ルの中の工場を休んでよかった日であった。皮靴、ズック類が品不足で、「明日は、 工場にかようときにはいていく下駄の歯が薄くなってきたので、下駄を作ろう」と 中村君と約束して、当日中村君の家に下駄つくりに出かけた。
 途中、空襲警報が発令され、乗っていた電車は松山電停でとまった。私は電車を とびおりて、家野町の中村宅まで走りとおした。やがて空襲警報は解除。防空壕を とび出して家の軒先で、二人で下駄をつくっていたとき、被爆。中村君はヤケドが 大きくて、9日の夜中に死亡。「カアちゃん、カアちゃん」と泣きながら死んでいっ たことを、昨日のことのように憶えています。
 2.私は列車で諫早に運ばれ、最初は小学校に、やがて諫早海軍病院に収容されました が、次々に死んでいく被爆者たちにとりまかれ、自分の死をすぐソバに感じる毎日 であったことは忘れられない。私の病室には50名程入院していましたが、米軍が「この 病院はわれわれが使うから、君たち日本人は出ていけ」と言われ、やむなく退院さ せられましたが、最初の50名は7名しか生きのこれませんでした。
 3.核兵器は悪魔の兵器です。美しい青い、私どもの地球を核兵器の被害から守りぬく ためにも、原水爆禁止、核兵器廃絶の運動をますます発展させていかなければなり ません。私は生涯かけて、核兵器廃絶の運動を続けるつもりです。
(2005年)

  とくに、ありませんが、アメリカのオバマ大統領が、核兵器の廃絶について言及したことは、被爆日本国民をはじめとする、全世界の核兵器廃絶の署名運動が億に達すること、また毎年おこなわれる、核兵器廃絶・世界平和実現のための世界大会が継続発展していることが基本的な力になっていることを忘れてはなりません。
 被爆者を中心にすえた核兵器廃絶、世界平和の運動こそ、美しく青いわたしどもの地球を守りぬく保証です。
(2010年追記)