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長崎の声

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濱田庄八さん 直接被爆・距離1.8km
被爆時17歳 / 長崎県長崎市4256

写真撮影:松本栄一
被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。
 私は当時、長崎市御船蔵町75の42番地の叔母(亡青地セツ)の家に下宿して、長崎 県立瓊浦中学校実務課生徒として長崎三菱製鋼所に学徒動員の命を受け、毎日勤務してい ました。私に与えられた仕事は海軍の魚雷の一部品の粗材品の検査でした。毎品ごとにメ ジャーで測り、製図どおり長さに切断されているかの仕事で、1日中で何百個と云う忙しい 事でした。思い起こせば昭和20年8月8日、毎月8の日には、日曜祭日祝日なく、日米開戦の志気高掲の日で学校に仕事は休んで登校を命じられて登校し、全員生徒朝礼に参会して、校長先生が日米開戦の勅語を御奉読される(大詔奉戴日)のでした。

 その后で報国隊員は中食過ぎ迄、配属将校直ぞくで軍事訓練でした。午後3時に下校して手熊の私の生家に帰り、翌9日は朝6時30分から起きて製鋼所に向かいましたが、途中で警戒警報が出たので、 道中の山の中で時間をつぶし、急いで解除の出るのを思い乍ら大橋迄来た頃に、解除に なったので電車(6銭の運賃)に乗り、岩川町、浦上駅前と行き、下車して製鋼所の門を入 ろうとした処、門衛さんから注意され、入門を許可されない上に、学生は全部防空壕に待 機しているからと指示であった。

 時計は10時すぎていたが、すぐ学校に行かずに御船蔵 町の叔母の家に行く事に決め、浦上駅前から歩いて行き、叔母さんの家について体びっし ょりの夏の汗で一杯だったので、台所に行き上半身を冷水でタオルを冷やしてふきかけた 時、西部軍発表、敵機中型機2機、天草上空を西進中なり、長崎方面厳戒を要す、のラジ オ放送あり、爆音がし始めたので、すぐコンクリート下のハシリに身をまげて耳をおさ えて入り込んだ。

 その瞬間に百光の光と共に天地もくだける様な地ひびき(爆発音)がして、目をひらいたが世の中は真くらすみで15秒間位は全面的に解からなかったが、時間が 経つにつれて段々と下の方から明かりがさしてきました。隣近所個人個人の名前の呼び合い で無事を確かめ合う声で一杯だった。幸いに叔母さんは桶風呂の掃除中で桶風呂の中で安 全であったので、すぐ現場じゃま物を払いのけて外に出たが、地震にでも会った時の様で、 瓦も戸板も全めつだった。後は後日記載します。
(2005年)