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長崎の声

上川仁さん 直接被爆・距離2km(稲佐)
被爆時10歳 / 福岡県福岡市西区3127

写真撮影:松本栄一
被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。
 自分の被爆体験
 10歳時、2、2km地点で、5歳になる妹の手を取って壕に避難中に路上で被爆した。
 閃光はザボンの木の陰で、火傷を回避出来た。2、3日後、そのザボンの木は枯葉を落とし、 裸木となった。爆風に煽られた時、妹の手を離し、自分一人が家に戻った。母親から「妹 はどうした」と聴かれて、手を離した事を自覚、妹は板塀、煉瓦塀、屋根瓦の下に伏せて いた。その時怪我はなく、大事に至らずに済んだ。頭や身体にガラスや瓦の破片等が当た り、障害者になっていたら、私が一生養わないといけないと思うと、ぞっとする。兄弟姉妹 でも、我身本位を知る。
 第2次世界大戦終結後、60年が過ぎ、一部の国を除いたほとんどの国は平和を享受し ている。平和は有がたいものだ。私達が子供の頃は、食糧、生活物資は充分になく、勉強も 出来ず、(敵機来襲、学童疎開)、家にいては弟妹の子守にあけくれた。現在では、そう 云う経験も不要だが、危難は何時おとずれるかわからない。戦争をしないと謳った憲法第 9条を改めるべきではない。
 「核廃絶」「ノーモア、ヒロシマ、ナガサキ」「ノーモア、ウォー」 以上
(2005年)