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長崎の声

小出エミ子さん 直接被爆・距離1.8km(稲佐町)
被爆時14歳 / 山梨県早川町5611

写真撮影:松本栄一
被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。
  今最も忘れられない事は当時九才の弟が服に火がついたまゝ母と私姉が入っていた防空ご うに泣きながら母の名を呼んで逃げて来ました。姉が自分がかぶって来た座布団で叩いて 火を消し止めました。其の後、父も三菱製作所につとめていましたが夜6時頃右手に十字 架を左手につるべに水を下げて帰って来ました。それから8日後に平戸の駅のホームで弟 は亡くなり、二日後に父も亡くなりました。父もやはり火傷です。
 もう二度と戦争は嫌です。平戸に逃げる途中満員の汽車の中で動けない弟を床にねせて、その上母が我が子が踏まれては可愛想だと云って長崎から平戸までその頃約三時間位弟の上に四つんばいになってかばっていました。私は当時14才でしたが子供心に母の偉大さと今持って親のありがたさをしみじみと感じております。
  原爆で亡くなられた方々のお陰で今のありがたい平和があると心より思っています。本当に辛かった事だと思ひます。亡くなられた方々の為に私達は何事もなく幸せに生かして頂いていると思っています。どうぞ、心やすらかに…。
(2005年)