english

ここから本文エリア

  • 閲覧上のご注意

長崎の声

この声の英語ページへ

三浦静子さん 直接被爆・距離1.5km(大橋)
被爆時14歳 / 大分県別府市9739

写真撮影:松本栄一
被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。
 14才だったけど今でもハッキリ憶えている。
 (1)原爆投下のあと又第2回目の爆弾が落ちるとのデマがとび、家の方向と反対側の道 の尾に4、5人で逃げ、空家みたいな家でそこも爆風でガラス戸がメチャメチャに割れてい たけど、そこで夜を明かし、翌朝家に帰り道、城山小学校の近くの道路に黒こげになって 死んでいた人の中に背中をえぐられて背骨が見える黒焦げ死体もあった。

 又、その当時は、馬車で荷物を運んでいたので、熱線を浴びて黒こげになった馬が無数に ころがっていた。
 今もあの背骨が見える程えぐられていた死体は脳裏に焼きついている。どうしてあんなに えぐられたのだろうと思う。

  (2)爆心地の近くで私も女学校の報国隊として大橋の兵器製作所で魚雷を作るための溶けた 鉄を流し込むジョーゴみたいなものを作っていました。ピカっと光った瞬間、スレート瓦の割れた所から光線を受けた首や突差に伏せた背中に瓦の破片がバラバラと落ち、夏だから服もうすく、いたかったけど、あれから何十年も生きのびられたけど、全身に熱線を受けたりガスを吸ったり建物の下敷きになって亡くなった人はさぞ無念であったろうと思う。

  (3)テレビで戦争映画の爆弾を落したり、核とか水爆とか北朝鮮のミサイルやイラク戦争とか その反撃とか戦争は止めてほしいと思う。

  原爆被爆責任の所
 私の実家は13棟ある大きな国宝のお寺だったけど空襲で全焼し、今の平和な時代、観光で どこの古いお寺も賑わっているのに。私も子供だったけど集印なんかしてお手伝いをし乍 らお客さんが多いなあと思っていたのを覚えています。戦時中でもあったけど見物客 は多かった。日米両国は少しでも賠償すべきだと思う。
(2010年修正)