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長崎の声

金田秀年さん 直接被爆・距離0.8km(尾上)
熊本県宇土市9940

写真撮影:松本栄一
被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。
 私は昭和19年4月1日付で国鉄に入社。三角駅に勤務しました。同19年6月には長崎駅に転勤になり同僚4名と勤務になりました。
 20年から空爆が激しくなり本当に大変でした。そして昭和20年8月9日其の日が参りました。雲一転もない青空でした。太陽がさんさんと輝き本当にあつい日、上半身はだかの仕事でした。

 11時、光が走り爆風がとんで来て、何にもわからなくなりました。横に大きな爆弾が落 たんだ。ああこれで終りだと思いました。
 線路の下にしく枕木が1本1本焼けて行く。電信柱が一本一本焼けて行くのをただ眺めて 呆然としていた事を思い出します。4名が転勤して2名が死亡しました。遺族が遺骨を取り にこられ最後の別れは泪がとまりませんでした。

 職員は一人ぼっちになり、夜勤務の時「森の石松」の唄をうたう時は悲しいむなしい戦争 の悲しさがしみじみとわかりました。
 追伸 何十年ぶりに書きました。文が下手で本当にすみません。年に一回は長崎に行き、原爆公園に拝みに行きます。
(2005年)