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長崎の声

男性 直接被爆・距離1km(大橋)
被爆時16歳 1845

写真撮影:松本栄一
被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。
 当時私は、三菱兵器製作所に勤務していました。原爆投下後大橋工場で、従事者の負傷 者看護等をしておりました。その日の午後に同郷での同級生の、川原篁君からの伝言が有ったとの事でした。伝言話によれば、城山の下宿の防空壕に負傷して入っているとの事でし た。焼け野原の城山町の防空壕と言っても一度も行ったことの無い場所で不安が一杯でし たが、8月10日午前9時過ぎ、浦上から線路伝いに歩いて、やっとの思いで防空壕が見つ かりが、下宿屋の4名も入っておりましたが、シャツはボロボロになり、背中は皮が剥が れた状態で自分では寝起きが出来ない様でした。

 もう一人の方は、9月1日に入隊予定でしたが、入隊できないと泣いておりました。私一 人ではどうする事も出来ず、後ろ髪引かれる思いで線路伝いに川原君を背負いながら赤迫 の地下工場広場の、臨時救護所まで運び治療をしてもらいました。その後、家族が郷里に 連れて帰り治療してましたが8月31日無くなりました。
 今、想えば一度も行った事も無く、誰にも尋ねる事も出来なかった、焼け野が原の城山 の防空壕が見つかった事が、奇跡と言う様な気がします。
(2005年)