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長崎の声

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西村哲男さん 直接被爆・距離2.3km(大黒)
被爆時17歳 / 神奈川県相模原市南区2116

写真撮影:松本栄一
被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。
 被爆直後、辛じて瓦礫の中から脱出した。爆風で倒壊した病院の建物からまず離れて逃げ 道を探し、やっと裏山の中腹まで逃げる。まだ、上空に聞こえる爆音に脅えながら、体中の 痛みを忘れその日の逃避行が始った。少しでも安全な所をと移動を始めるに従い周囲の状 況が徐々に解ってきた。高熱を帯びた閃光と強烈な爆発力ですり鉢状の長崎の街は、一挙 に火焔の海と化し、山の中腹までも熱の流れが届くほどであった。

 樹木や野菜の葉は、すっかり萎縮して竹林さえも一部が倒れていた。その惨状は言葉に表 せない程で、眼を覆いたくなった。火勢を避ける為、低地から高地へ辛じて逃げて来た人 達が至る所に横たわり盛夏の薄着でもあり、全身に及ぶ火傷による大きな水ぶくれをぶら下 げ頭髪はちぢれ安全と思い辿り着いた畑の泥に横たわり、大勢の人が、悶え苦しみ、あち こちにはすでにこと切れた人々が、正視出来ない地獄図と化していた光景は、痛ましさを越 えるもので、体の震えが止まらない程であった。今だに脳裏から離れない。

 逃げる途中で、黒い雨の洗礼は不確の出来事であった。夏陽が、すっかり西に傾き、帰宅 を急ぐこととして、爆心地の方から元の位置まで戻り、下火になりつつある所を選び、反 対側の山の麓に在る、下宿まで帰ることにした。山を降り橋向こうに行く道すがら、累々 たる屍。川面には何体もの人々が浮いている様は、正に驚愕の一語に尽きた。
 橋の上には逃げのびた人達が、ここにも動く事もなく横わっていた。
 やっと帰宅出来たのは、陽も落ち、街中だけは、燃え残りの火が散見出来た。ほっとする 間もなく、体中の痛みが数日続き、高台にある下宿からの眺めで、長崎の街は、想像に絶 する変貌ぶりで、もはや、長崎に留まる意味がないとの判断で帰郷を早めた。
 この目で見て経験した事の半分も言い表せないが、其の後、度々の貧血と目眩い、頭痛、 倦怠感等で幾つかの挫折を余儀なくされた。
 頭痛は、遂に持病となった。

 原子爆弾の恐しさは、僅か一発でも人類に与える影響は最終で最大の殺傷兵器であり、非 人道性に富み、撒き散らした放射能は全んど、生涯にまで影響を及ぼすものであるだけに、 唯一国連が一部の核保有国の思惑で動くのでなく、国連本来の機能を改革して、或る国が 核の力で国威発揚を計ろうとする愚行を断ち切る、強固な条約等考えて欲しいと思う。
(2010年書き換え)