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長崎の声

大田てるさん 直接被爆・距離2.6km(片渕)
被爆時19歳 / 福岡県田川市6133

写真撮影:松本栄一
被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。
 (1)学徒動員で兵器工場に行っていた中学生がやっと家に辿りつき家族が手をつくし看病し た事。全身焼けただれ、お腹は大きな水ぶくれ。内臓がはみ出し、熱いよう、あついよう と言い乍ら死んでいった事。お母さんが前の畠に木を組み、その子を焼いた事。何とも悲 惨な事が廻りに沢山あった。
 (2)中心地から山越えをして、ボロボロになった少年少女達が木の枝を杖に友人と手をつなぎ、 腕を組んでノロノロと我が家の前を行列をつくって通りすぎていった事。髪は焼け、顔は ただれ、胸の名札と腕章のあとは焼け残り(白い部分)、哀れであった。力つきてしゃがみ 込む子に母は少しの水や食物をあたえ、不安がる私達に神様がどうにかして下さるよ、 あの子達は助かるかどうかわからないんだからと言いました。あの身体で一目、お母さん、 お父さんに会いたいと必死だったでしょうに――。
 (3)我が家の前は長崎高商の寮でした。(現在の長大経済学部)次々と被爆の患者が運 ばれ、薬もなく、蛆がわき、死んでいき、トラックで運び出されて行きました。
 (4)折が有ってもなくっても次代の若者に伝える義務があると思います。
 たった一人の中学生にたのまれて、話をした事があります。その娘は、家族も巻き込み、 素敵な論文も書き、賞をとりました。今高校生ですが、国連の仕事をしたいとか。若者の 事件の多い中で、嬉しかった事の一つです。
(2005年)