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長崎の声

女性 直接被爆・距離4.6km(出雲町)
7292

写真撮影:松本栄一
被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。
 私は生後1才で父が戦死をして戦争被害者と癌の病いとの被害、両方の苦痛を、体験しています。戦争で1家の柱を失うことの人生体験が多く有ります。
(2005年)

  長崎に原爆投下8月9日は家族兄姉5人、長女12才 長男11才 次男5才 二女3才 三女(本人)1才が防空壕にひなんしており、防空壕で私があまりに泣くので長男がおんぶして、母が1人家を守って居たので、お乳を与える為に連れて来ている途中に原爆にそうぐうし、爆風で長男は私をおんぶした状態で、がけの下に飛ばされたそうです。
 それから母は夕方に近所の方をさがしに出る事になり、父は戦地なので、私をおんぶして、リヤカーを引いて原爆中心地から、1.5km以内の銭座町にある変電所まで行ったそうです。その方は即死の状態だったそうです。私くしは、小さい頃から胃腸が弱く、20才代に急性重症腸炎で入院し、50才代には大腸癌の手術をし、65才で乳癌の手術を致しました。小さい頃は父が戦死した為に兄姉5人食べ物にも、困まる状態で大変苦労しました。原爆は65年たっても痛みがなくなることはありません。
(2010年追記)