english

ここから本文エリア

  • 閲覧上のご注意

長崎の声

本多八郎さん 入市被爆
被爆時18歳 / 福岡県太宰府市6602

写真撮影:松本栄一
被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。
 1.私は長崎三菱兵器製作所へ救護隊として入市。死体処理120体処理。被爆死の姿を 見て、脳裏深く生涯忘れ得ぬ思いが残っている。
 戦後長崎で生活し、悲惨な状況、無一物の生活を見てきました。まさにハングリーの 生活。希望のない生活でした。
 2.原爆死没者、身元の分からない多くの人々、常々冥福祈る。
 毎年福岡県星野村慰霊碑へ参拝する。
 3.変わり行く世相、老いてなお語り継ぐらん使命かな。
 児童、学校、社会へ永遠の平和を語り継ぐ使命と責務があります。
(2005年)

  小学校平和学習で話している内容を同封風致します。

  平和学習時の原爆証言について

  私は長崎生まれの長崎育ちです。
 長崎へ原爆が投下されたのは、1945年(昭和20年)8月9日11時2分、今から65年前私が18才の時です。人類史上世界で初めて広島と長崎へ原子爆弾が投下されました。
 先ず、現場の被害状況、原爆によりその年に次の被害がありました。
 当時の人口:長崎…27万人・広島…35万人
 死者:長崎…70,000人・広島…140,000人、合計210,000人
 重軽傷者:長崎…75,000人・広島…83,000人、合計158,000人
 死傷者合計:長崎…145,000人・広島…223,000人、合計368,000人
 被害戸数:長崎…18,500戸・広島…67,400戸、合計85,900戸

  昭和20年その年に37万人近くの死傷者、尊い命を失い、怪我をされました。また、家屋も86,000戸焼失し街も山も一面火災で焼野原となり、放射線の影響で70年は草も木もはえぬと当時評されました。
 長崎の原爆は8月9日アメリカのB29が飛来高度9000mから投下、地上500mで爆発、10秒で中心地近く壊滅した。100分の1秒で核分裂放射能を放ちます。0.2秒で火球(きのこ雲)発生、直径310m大きなきのこ雲が見られました。
 長崎の原爆はプルトニューム型の原爆、威力は広島ウラン型の2倍といわれている。
 原爆爆発時に発生した火球
 爆発時火球中心温度  100万度/C
 1万分の1秒後     30万度/C この時の火球直径  30m
 1秒後        3000度/C   〃      400m
 10後           消滅

  長崎原爆中心地から500mはなれたところに城山小学校があります。そこで児童1,400人、先生28名尊い命をなくしました。
 当時城山小学校の熱線は3000度(燃える太陽6,000度:太陽の直径地球の109倍、地球からの距離1億5000万km、新幹線200kmで60年かかる。太陽が誕生して45億年ほどになる。片時も休まず燃え続ける。巨大なガスの塊ときいている。)
 強烈な熱線の作用で皮膚の内部組織や臓器にひどい衝撃を与えた。
 衝撃波(爆風)爆心地から500m秒速280m、鉄骨が折れ曲がり建物が破壊吹き飛ばされ、閃光(ピカッというヒラメキ)、熱線、爆風、放射能(線)をまともに受けた人は完全に即死です。
 生存者は田舎に疎開した児童47名と先生3名だった。
 それ程原爆は恐ろしい悪魔の兵器であり、人類を滅亡する爆弾なんです。

  私は当時長崎から60kmはなれたハウステンボスの近くの川棚町の海軍の軍需工場(兵器を作る工場)に学徒動員として働いていました。学生だったのです。
 当時戦争中だったので、大人の男性は満州、中国、東南アジアなどあっちこっちに兵隊に行き、または兵器を作る工場へ命令的に徴用工として働いていました。
 中学生や高校生は学徒動員法により、兵器を作る工場や農家へ田植えやいもほり等手伝い働くことに命令されました。
 当時は学校で勉強することも少なく、スポーツなんてありませんでした。当時は着る物食べるものは満足になく、何でも配給切符制度でした。白いご飯は月に二度くらい、銀めしはありがたかった。甘い物、肉類、チョコレート、アイスクリームなど全くありません。まさにハングリー時代でした。児童達は爆撃など戦争の犠牲にならぬよう、親元を離れて田舎へ集団疎開して共同生活をしました。
 この工場で働いていると8月9日11時すぎピカッと光がきらめき、暫くしてドカンという大きな爆発音でその工場にひれ伏しました。
 近くに爆弾が落ちたと感じました。これがなんと60kmはなれた長崎の原爆だったんです。
 私どもは原爆のことをピカドンという。
 ピカッとひらめき、暫くしてドカンと爆発音がある。(註:光速30万km/秒、音速340m/秒)その夜長崎方面を見ると遠くの山々がメラメラと赤々として大きな光が見えました。
 大火事だ、大変だ大変だと叫びました。