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長崎の声

大沼寿子さん 入市被爆(高平)
被爆時0歳 / 東京都世田谷区9649

写真撮影:松本栄一
被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。
 私は当時0才でしたが、祖母は入院中、被爆で亡くなり、捜せなく無縁仏です。いつも、 10日間程、私の祖母の遺体を捜し歩いた事を叔母より聞いて、胸のつまる思いでした…。 涙なくしては聞けない話でしたが、今、その叔母も老いて入院中です。毎年の慰霊祭にア メリカの代表が参加されないのも、理解できない事です。(長崎、広島へ)
(2005年)

  うだるような暑さの中、私の叔母は祖父と二人で、毎日私の祖母の遺体を捜しに爆心地へ歩いて通いました。途中、街中の市電の中に、乗客が座ったままの姿で原爆で亡くなっているそうです。
 毎日、誰もかたづけする人もなく、同じ光景を見ながら祖母を捜しに歩いたそうです。むしろを1枚ずつめくって祖母を捜したけれど、とうとう捜す事が出来ませんでした。

 その近くでは、「水をくれー」と沢山の人達が叫んでいて、叔母の水筒の水を見ながら…叔母はその時は、もし、水をあげるとその人達が死んでしまうから…とあげなかったそうです。
 でも、60年過ぎて、思う事はあの時「水をあげる」べきだった。そしたら、あんなに苦しまず、安らかに皆がなれたのに…と…。あの時の判断が間違っていた…と、後悔しているそうです。あの原爆あとの光景はまさに地獄だと思うと、叔母は話す度に私にそう言ってました。
(2010年追記)