english

ここから本文エリア

  • 閲覧上のご注意

長崎の声

この声の英語ページへ

坂元賢三さん 入市被爆(竹ノ久保)
被爆時11歳 / 熊本県熊本市9947

写真撮影:松本栄一
被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。
 1.忘れられないこと
 昭和20年8月9日、その日は真夏の太陽がギラギラと照り輝き夏休み中の楽しい朝、私 は小学6年生12才(大草村小学校)。長崎城山小学校より疎開して来たばかり、教員の姉と妹と転校でした。

 村の船着場の桟橋で泳いでいる最中でした。突然のサイレンの音、警戒警報、続いて空襲警報、何故か空襲警報はすぐ解除され、警戒警報の長い音に変る。耳を澄ますとB29のウンウンと云う爆音が聴えて来る。田舎の事とてさして慌てもしないで空を凝しているも機影は発見し難く、何やら落下傘みたいな物が2、3個落ちて来たように見え、大村湾より長崎方面へ爆音が消えて行って、何秒か後にピカットした光りと同時にドカーンと云う音と爆風が来て桟橋に腰かけていた私は海に落ちた事を憶えています。

  村は平静でしたが疎開先の橋本万蔵、静夫妻に報告。夕方に黒煙と長崎市外が赤々と燃えているのを見る。翌日長崎に新型爆弾が落たとか大人達の話を聴く。村の青年が救助に向かったとか…両親、家に残っている兄妹達の事が心配で眠れぬ夜を過ごす。翌々日突然車の音 がして柱の陰から覗くに真黒焦げに焼けた女性が二人運ばれて来る。恐ろしくて柱に隠れ ている私に声を掛けて呉れる。

 私の名を呼んで母である事を確認。唯々全身ふるえて涙が溢れて止まらなかった事を想い出します。お腹中に大きな穴が開いてウジ虫が蠢いている。耳、口、鼻、痛い痛いと云う母に、懸命に除去する。暫らくすると又一杯。橋本夫妻、私達の看病も虚しく16日、夜中に亡くなりました。翌日姉妹、私と橋本さんとで野火荼毘にふす。18日遺骨を持って長崎へ。

 浦上駅の広場で馬が丸焼けになっている姿を覗て、子供心にも馬の腹を棒で突ついて全身に肉汁を浴びた事を憶えています。あたりは焼けただれた死体の山、筆舌に絶します。世界平和の頼め、二度と使用禁止です。原子力時代とはいえ製造禁止を叫びます。
(2005年)

  追伸
 2008年に甲状腺ホルモン異状で発症、治療中です。高齢なれば疾患がーつ又ーつと不安でなりませんが、頑張って居ります。唯一不満と悔しさがあります。当時のアメリカの為政者の一言、上の命令で原爆投下を指示したとの記者の質問に答えた無責任さ…でも若いアメリカ兵には大変優しくして戴き感謝しております。
(2010年追記)