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長崎の声

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女性 救護被爆
被爆時24歳 2123

写真撮影:松本栄一
被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。
 戦時中私は教職についていました。長崎に原爆が投下された時は自宅におりましたが1 0日に学校に出勤しましたら若い先生方7名被爆者の救護に行ってくれと校長先生から言 われたので収容されている高校に行ったら、全裸の若い男性が近づき水を汲ませてくれと言 われた姿は体は黒く焼けておられ返事する事も出来ません。驚きでした。講堂や教室を見 廻りますとその悲惨な方々ばかりで人間がこんな姿になるとは、この時始めてこの戦争は 勝つのだろうかと感じました。

 治療室には看護婦さんは居らないで助産婦さんがおられその手伝いをしてくれとの事で したので、繃帯をしてやったり洋服を着せたりしましたが、そんなにしてあげる方はよい 方で治療にも来れず寝たままで翌日は亡くなると言う状態で日々減って3日目にはほんの 僅になる始末でした。大阪から来ていられた大学生らしい男性がお母さんと泣き乍ら呼ん でおられたのに思わず涙が出た事は今も忘れる事は出来ません。

 自宅に帰る途中亡くなられた方々を畠の中で火葬されているすごい炎を毎日見て、大部分の 方だろうと思い今でもその辺を通る度思い出されます。御遺骨は家族の方にお引渡しは出来 られたのだろうかと思うことです。家族の者皆その当時は知らないので折にふれ終戦頃の 話を聞かせています。世界中戦争のない時代は来るのかといつも思います。戦争の犠牲者 の方々を思う時、今後絶対に戦争はない様これからの教育に力を入れてもらいたいと思いま す。
(2005年)