english

ここから本文エリア

  • 閲覧上のご注意

長崎の声

女性 健診
被爆時7歳 3137

写真撮影:松本栄一
被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。
 19年4月小学校入学。戦争のこわさは小さな身体にしみついてます。入隊する人がいる と全学童で日の丸の小旗をふって見送るのです。ある日学童が並んでいると敵機が来て私 達に爆弾を落した。それがそれて少しはなれて落ちたので私達は助かった。又、こんな事 があった。学校帰りの私達をねらった爆弾がそれて畑へ落ち、友達の母が乳のみ子を残して なくなった。そのため友達は小学2年生で母親のかわりをするため学校にこなくなった。

 同級生はみんなで助けようと言ったけど助ける事は出来なかった。この後あの原爆が落ち たのです。8月の真昼にイナズマのような光が走ったと思った。少したってドカーンとも のすごい音が聞こえ20分〜30分たったころ空がくらくなりふしぎな物を見た。木や竹 の葉をさらさらと音をたて落ちて来たのは黒い砂だった。空を見上げたらオレンジ色の丸 い物が見えた。これは真夏の真昼の太陽を目で見る事が出来た。まるで夕日を見るようだ った。これが私の思い出です。家族は無事だったが、おじやおば、いとこを原爆でなくし ました。父も爆心地迄良く行っていました。父がなくなったのは糖尿病でした。父は原爆 手帳ももらえないでなくなりました。
(2005年)

  城山小学校の近所に父の姉がいました。その人は全身やけどで3日生きて死に、又、むすめの2女の人は家と共に消えてしまいました。後に残された子供達のために家を作りに父と母は3ヶ月くらいかよってました。あのころを思い出すと何も言えなくなります。
 もう戦争はしないで下さい。
(2010年追記)