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長崎の声

男性 不明(東中町)
被爆時11歳 3159

写真撮影:松本栄一
被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。
 私の場合、昭和20年末より21年にかけ、腹痛に始まり腹膜炎の診断を受け、体は痩せ、 死の寸前を治療にて助かった。50才位までは完治と思っていたが体力が弱まる頃より、 腹痛が再発、盲腸、尿管結石と診られたが、腹膜炎の後遺症で腸のゆ着による腸閉塞で10 回ほど入院した。
 腹痛が始まると病院にいく、直ちに入院、絶食治療。2〜3週間の入院の繰り返しで今後も 不安は続くと思う。

 S20年8月12日、原爆投下3日後、田舎に疎開の為家族と共に被爆中心地帯を横 断、道端で数え切れない死体の散乱、動物、人々の無残な死体を見る。今も異臭と共に 惨状が目に浮かぶ。途中、爆心地の街路を歩き、山坂を登り、田舎の農道を歩きながら、 真夏の暑さで、井戸水を飲み、山の湧き水を飲み、母親と子供4人家族(私が長男)が一生 懸命に助け合っての行動でした。
 戦争を始めた日本責任者、原爆投下を指示したアメリカの責任者は責任 を取るべき。
 若年の頃は被爆を他人に言わず、結婚適齢期には相手に隠すことが被爆者の常識でした。
(2010年修正)