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長崎の声

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馬場すづ子さん 不明
被爆時24歳 / 長崎県諫早市9923

写真撮影:松本栄一
被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。
 今でも頭にこびりついている有様。
 (1)1年生位の男の子一人介護の隅でねてた姿。耳より〈ウジ〉が出てるのを〈ハシ〉で取 ってやった事。
 (2)お母チャン、お母チャンと5、6才の女の子が取りすがって泣くのを払いのけていた母 娘の姿。
 (3)学校の水呑場(外)でおおいかぶさって死んでおられた男の大人の姿。
 (4)腰から腹(チョウ)が出ていたのをお医者さんもどうしようもなく、唯黒いスミの様 な薬?を(ハケ)でぬっておられた姿。
 (5)看ゴ婦さーん、看ゴ婦さーん、水を下さい、と呼ばれたけど水を何故かやらないで下 さいとの事で……胸が痛かった事。
 (6)第1の教室:手当をする人 第2教室:もうすぐ死ぬ人 第3教室:死人
 死人の教室が一杯でその臭気もたまらなかった事。
 当時、婦人会は大変活動した事です。真黒い空にB29がスーと流れた姿。あわててお昼の支度の為、炊いてた火を消して防空壕へ走ったものです。
(2005年)

  広い講堂に板張りに毛布一枚敷きゴロ寝の有様は今思い出しても涙が出ます。妊婦さんがいらしたんですが、大急ぎで西川産ばさんを呼びに行きましたが、足がガタガタふるえが止まりませんでした。当時の会長さん、婦人会の皆さんほとんどおらんごとなってしまって私だけ89才にもなろうとしてるのに思出し引き出し下手な字で書いておりますのをありがたい、しあわせだと感謝しております。サイレンが鳴る度にカマドの火を消して小さい子をオンブして防空壕へ歩って行ったものです。
 孫も適れい期。スイッチひとつでゴハンも出来、洗濯も出来、赤チャンのおむつが紙おむつに変って楽々。
 此ん事を云って聞かせます(終)
(2010年追記)