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長崎の声

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松坂信子さん 不明
被爆時25歳 / 東京都練馬区9096

写真撮影:松本栄一
被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。
 腰かけてミシンで縫物してる時ピカッと光って、驚き、椅子から下りて3針くり、立ち上り廊 下を10歩位歩いて、爆風の為飛ばされて気絶して、其の中ウオウオと云う気圧の圧縮か ら目覚め、体の上には、何枚ものふすまや神棚の品々や其の他色々な物が覆いかぶさって、 振り払い、やっと眼をひらいて何が起きたか全くわからなかった。

 立ち上って足を見たら、血がながれて両足の特にヒザから下は、ガラスの破片が数えられない程つきささってて手では抜けないし、針とピンセットでやっと2枚だけしか取れず、後全部足の筋肉の中に すい込まれるように入ってしまった。どうしようもなくあれよあれよと見つめて居る中 に、皆見えなくなり、今だに入ったまま。

 30年位前迄、両足を何度もながめて居るとポコポコと入った当りが幾つかふくれあがったみたい。ここにも、ここにもと盛り上って何とも云えない。悲しい気持になっていたのが、もうどのくらい前からか、それらしいものを見当らなくなった。あのガラスの破片はどうなったのであろう。時々ピリピリとかズキズキと痛くなって、破片の為なのか分らないが、うらめしくなる時がある。病院に行き、レントゲンを頼んだが、当時はガラスはうつらないと言われた。

 何時も心から離れないのは山里小学校の教え子達の眼差しが忘れられない。教会でのお話をしてくれて「其の中世界中火の海になって、死んでしまうそうだ」と言った言葉。そして子供達は、こわいよ、こ わいよと言いながら、私に抱きついて来た事を私は絶対に忘れない。
(2005年)

 新たなメッセージは、長女の代筆によって書かせて頂きました。内容はほとんど本人の言葉で書いてあります。

 長崎県の原爆投下のほぼ中心地にある山里小学校で、当時の私は、教師として二年生を受け持っていた。それは丁度、原爆が落ちる一年半ほど前の事である。
 当時の生活は物資に乏しく、子どもの上履きも、学校で配給される物しか手に入らなかった。それも一度に、一クラスで二、三足の割り当てしかなく、殆どの子供達は、裸足のままで学校生活を送っていた。
 祖父母に、草鞋をあんでもらっていた子どもも数人はいたが、草鞋は教室内で藁のくずが落ちるため、皆に嫌われていたこともあり、なかなか履き辛いものだった。

 九州とは言っても、長崎の冬は、雪の降る日もあり、とても寒い。
 当時も、みぞれ交じりの雨が降り続き、底冷えがしていた。そんな中で、受け持っていた二年生の子供たちが、朝次々と登校すると、入り口付近の廊下は雨水でびしょびしょになっていた。
 それは、幼い小さな手が寒さでかじかんでしまい、傘をうまくたためない上に、友達同士ですぐにはしゃぎ出してしまう…。そんなために、あっという間にその辺は、水たまりが出来てしまっていた。

 私は、その上を裸足の小さな足が、教室までの廊下を、ピチャピチャと歩く様子があまりに冷たそうで、かわいそうに思い、翌日から少し早く登校して、子供たちを入口で待ちうけることにした。
 入口付近には、乾いた雑巾を敷き詰めておき、登校してくる子供達の傘を次々とたたんで立て掛けた。子供達は、無邪気にはしゃぎながら何の変りもなく、前日と同じように、教室へと裸足の足を弾ませていた。

 私は、翌日も雨が降る中、早めに登校して子供達を待ちうけようと、門をくぐった。
 するとどうだろう。
 子供達はすでに登校していて、上級生の教室の前までキャアキャアはしゃぎながら廊下を拭いてまわっているではないか!
 小さな腰をかがめ、母親に持たせてもらったのであろう雑巾を、それぞれの手に握りしめ、男の子も女の子も楽しそうに四つん這いになった手足を滑らせていた。
 私はその光景を見て、感動のあまり、その場に立ちすくんでしまった。
 この子たちや、すぐ雑巾を持たせて下さった、この子たちの親御さんに対しても、感謝の気持ちで胸が一杯になり、こぼれ出る涙を止められずにいた。

 その後、私は、同じ長崎県のはずれにある、小さな小学校に転勤になった。
 その転勤先の学校で、あの時の子供たちが、一人残らず原爆で亡くなったことを知らされた。
 私は九十歳になる今日まで、あの雨の日の出来事を、忘れたことは無かった。
 そして遠く離れたこの地の東京で、冷たい雨が降るたびに、純粋で、無邪気な、あの子達の姿を思い出し、今も胸が詰まる思いでいる。

 一瞬にして幼気ない命を、奪い去ってしまった、原爆が憎い!
 私は胸の中で、込み上げてくる涙とともに、今も叫び続けている。
 返して下さい!あの子供達を!
 当時のままの子供たちを、返して下さい!
 そして当然、在るべきだった、尊い子供達の将来を…。返して下さい…。と。
(2010年追記)