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長崎の声

男性 胎内被爆(元船)
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写真撮影:松本栄一
被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。
 1.何の為の戦争だったのか!おさない頃(2才5ヶ月)父をなくし、終戦後、戦地から帰って来て、体を弱めていたらしい。子供4人をかかえ、母も生きるのに必死だった様です。私もおぼろげに行商を共にし、売れない母の姿を今も忘れる事はできません。

 その後は苦労の連続。昼間は看護士、夜は病人のつきそい。家にも帰らない日々がつづき、私達4人の子供は、祖母にゆだねられた毎日でした。そんな母も無理がたたり病弱になり、子供の為に「のちぞい」をもらい、私達には2番目の父が出来ました。その義父は天使様の様に母を見守り、入退院にもめげず、看病してくれました。私達姉弟も世間並みの生活が出来、母の死(47才で死亡)以外は、幸せに暮らせた日々でした。

 戦争が日本国民の生活をおびやかし、生死をさまよわせ、家族をばらばらにし、人生を めちゃくちゃにしてしまった。もう戦争は「いやだ」と実体験のない私達でも、思ってしま います。多くの人を苦しめる事だけは、やめないと!!もう売れ残った行商の母の淋しそう な顔、見たくない。他の人達にも味わってほしくない。せっかくの長崎のオランダ坂での思 い出が、私にとってはかなしい母の姿しか浮かんでこない。そんな「ふるさと」にしたくな い。絶対に!!
(2005年)