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《平和を祈る人たちへ》
ドーナツ雲がつながりきのこ雲に

中村 文子(旧姓 中村)
専経一回、静岡県三島市在住

 私は、神戸女学院経済科一年終了頃、父の会社の都合で広島に疎開し、広島女学院の経済科に編入しました。四月に入り、勉強はなく学校の受付で雑用をしており、ちょうど八月六日には休み、地御前村の家におりましたので、被爆しませんでした。

 台所でお茶をしている時、外よりヒロヒロと蛍光灯のような光が波打って入ってきたと思うと、同時にドカン! とものすごい爆風でした。外に出てみると空に大きなドーナツ雲、下からもくもくと上がるのがつながり、きのこ雲となりました。夜になり地御前の海を隔てて広島の市内が焼けるのを見ました。

 地御前村にはトラックで被災者が運ばれてきましたが、半分の方は亡くなっておられ、皆さま水膨れがひどく、顔なども焼けただれていました。ある人は水田で草取りをしていたら、膝下の水が光と共にグラッとわき上がり、麦わら帽子、ランニングシャツから出ているところは大火傷となりました。。

 九月に入り牛田のバラック校舎で授業が始まりましたが、経済科は十七名でした。二十二年の卒業までは二年間でしたが、広島駅(レンガ作り)には戦災孤児がおりました。駅から学校まで五十分以上歩いておりました。卒業式もバラックの礼拝堂で、帰りにアメリカ兵のジープに乗せていただき駅まで・・・。そして、その十月に、私は結婚し東京へ。未だに一度も広島に行く機会なく、懐かしさのみ偲んでおります。松本卓夫院長先生、松下績雄(いさお)教頭先生、印具(いんぐ)徹先生(倫理)、長倉穀村(ながくらこくそん)先生(文理大より)、マクミラン先生(英語)を覚えております。

      松本卓夫院長先生のお話

  ちょうど礼拝中で一度に三階建てがつぶれ、窓際の先生方は出られたのですが、中の生徒たちの叫ぶ声、何ともできなかった。川原で先生の奥様方が輪になってお祈りをしておられた所へ竜巻がきて、先生と松下先生の目前で全員が空に巻き上げられどこかへ・・・。どこにも見つけることができなかった、とのお話が胸を痛めます。

・・・七十九歳