english

ここから本文エリア

他の証言・資料 Others

じいちゃん その足どんげんしたと    ―― ある被爆者の戦後史 ――


 娘の結婚

 年月の過ぎるのは時として早いもので、孝恵もすっかり落ちついて働くようになり、二女の里美も中学を卒業すると進学せず、長崎は嫌だと言って島原で就職した。この子はどうしてこうまで肝っ玉が大きいのか、あきれる。遠くから見守るよりしかたない。

 英裕はあまり外で遊ぼうとしない。家の中でテレビゲームに夢中だ。

 六十三年、天皇は体調を崩し、明けて六十四年一月七日、昭和天皇は死去した。国内では自粛ムードで私はなんだかおかしいように思えてならなかった。昭和が平成に変わった。私にとっての昭和とは一体何だったのか。物心ついてからの半生は思い出しても身震いする。

 この頃の私は落ちつかない日々をすごす。長女(孝恵)の言動に、微妙な変化を感じたからだ。後で考えると、母親ならすぐにわかったかもしれないが、親は親でも父親である私には、見抜くことはできないが、何となくわかった。ある日、何食わぬ顔で、「孝恵、お前好きな人がいるとじゃなかとか。もしそんげん人がいるとなら、いつでもいいから連れてこいよ」といっておいたら、十日もしないうちに一人の男性をつれてきて、「この人と一緒になりたかと、父ちゃんよかろう」ときた。私も覚悟はしていたが、赤ちゃんがおなかにいて、三カ月すぎていると聞かされて本当にびっくりしてしまった。この子はいつもそうだが、どうしてこうも親にびっくりさせるのか。太っ腹なところをみせて、「よかよか、父ちゃんが式ばあげてやるけん。俺がじいちゃんになったとか。がははは」。顔で笑っていたが、心の中ではついにその時がきたかと思った。まだ十九歳なのに。娘の横にうつむいて座っている男性が憎く思えた。

 嫁いでいく前夜、私は手に焼酎が入ったコップを持ち、片方にはビンを持って、隣の部屋に寝ている娘のそばに座った。かすかに寝息が聞こえる。時計を見ると、一時を少し回っている。「孝恵」と小さな声で呼んでみる。うるさそうに横を向いてしまった。右手を布団から出している。指先を見ると「霜焼け」みたいになり、あかぎれしているのが見えた。喫茶店の仕事は辛いのだろう。母親がいたならば、善きにつけ悪しきにつけ、いろんな話があっただろうに。涙が出そうになるのを必死にたえる。

 かつて私が自暴自棄であったころ、この子は冷ややかな目で私を見ていた。瞳の中にどんな父親像を映していたのか。情緒不安定な時期に、私に対して精一杯に背を向けて生きてきた娘が明日嫁に行く。「いかないでほしい。ずーとそばにいてほしい」と思った。そしていつまでもその場で焼酎を飲んだ。

 当日がきた。「おめでとうございます」。中には「男手一つでよくここまで育てられましたね。本当におめでとうございます」という。

 私は心の中で、「いらぬお世話だ。何がめでたいか」と式が終わるまで思っていた。だがこれだけは確実に言える。私の愛する娘よ、幸せになってくれ。

 夜、ほろ酔いかげんで、主がいなくなったタタミの上で、また焼酎を飲んだが、ほろ苦い味がした。